編者が語る~座談会「つながる沖縄近現代史」【下】

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―沖縄振興の影の部分として格差の問題が指摘されています。

秋山 戦後の日本の開発主義に沖縄を組み込むに当たり、日本本土では自民党の派閥も含めた人的なネットワークが機能していましたが、沖縄の場合、沖縄開発庁のルートに集約され、それが制度化していきました。そうなると、どれだけお金を注いでも経済波及効果は限定されてしまいます。道路整備などの公共事業は経済効果の裾野が広いのが特徴ですが、製造業が発達していない沖縄では、波及効果は観光や流通業界に限定されました。そのため全体的な所得の底上げにはつながらず、一部の業界が潤ういびつな配分の形になりました。

―一括計上方式が政治的に利用されやすい、との指摘もあります。

秋山 一括計上方式によって、政治的な背景から政府が予算規模をコントロールしやすくなっています。県が各省庁と折衝し、事業メニューに応じ、予算を積み上げていくのが他府県の予算配分の仕組みですが、沖縄は復帰とともに沖縄開発庁が一括して計上する方式が継続されてきました。現在は内閣府が所管し、より政権中枢の意向が働きやすい体制が整備されています。

―そういう意味では、古波藏さんが指摘したように、復帰時は隠されていた沖縄振興体制の本質が現在露骨に現れてきている、とも言えるのでしょうか。辺野古新基地建設をめぐる県のスタンスと、政府の沖縄予算がリンクする構図が可視化されるようになっています。

秋山 公共事業を通した豊かさの演出が難しくなった側面もあると思います。だからこそ、沖縄開発庁が行政改革の中で、より官邸の影響を受けやすい内閣府に組み込まれていったともいえます。一方で、95年の「少女暴行事件」以降は、基地所在市町村にピンポイントで振興策を配分する北部振興策や米軍再編交付金なども含め、基地がないと経済が成り立たないと住民が意識する方向に誘導していくやり方が顕著です。

―22年1月の名護市長選では米軍再編交付金の影響も指摘されました。国による基地とリンクした財政支援の手法はますます巧みになり生活と切り離せない部分にも影響が出てきています。一方で、地元紙の報道は常に「予算規模」が見出しになり、それが執拗といってよいほど繰り返し報じられます。これは予算の多寡で知事の行政手腕を査定してしまう世論を醸成しかねない、と危惧しています。

古波藏 どういうビジョンを持って県政を運営しているのかという将来ビジョンが見えないのに毎年の予算総額ばかり強調されています。これは国だけじゃなく、メディアだけじゃなく、県も、それに疑問を持たない県民も問題意識をもつ必要があります。

前田 保守系の人たちから沖縄は基地がいらないなら補助金を受け取るのもやめろ、といった言い方をする人もいますが、まぁたしかに補助金頼みになると、どうしても不安定な雇用を生み出します。身近な話になりますが、この新年度に一括交付金がぐっと減ったことで最も割をくったのは市町村史の非常勤職員ではないかと思います。ある自治体では3月に地域史を出版し、年度が替わった4月には出版に関わった全員がいなくなっていたところもありました。文化事業でも露骨な使い捨て労働が起きてしまうことで、地に足をつけてその土地の文化や福祉を育てることができなくなります。補助金で支えられている事業は「打ち上げ花火」のような傾向が強いのが問題です。事業の効果や必要性を十分検証する回路がない中、結局非正規雇用の労働者たちが泣き寝入りして終わる、ということが起こっています。

―日本から見える沖縄イメージとして、「沖縄ブーム」が繰り返される背景について解説していただけますか。

秋山 沖縄イメージということでは、復帰直後の沖縄国際海洋博博覧会以降の動きが大きいと思います。復帰前にも戦跡観光はありましたが、人の行き来が増え、「青い海」「青い空」「亜熱帯」といった沖縄イメージが急速に拡大していったのは75年の海洋博が嚆矢といえます。80年代に入ると、外側から押し付けられた沖縄ブームへの問い直しが沖縄内部で起こります。80年代後半に新城和博さんたちが『沖縄キーワードコラムブック』を出版し、沖縄内部から沖縄の面白さを掘り起こす、サブカルチャー的な動きが出てきて、それが90年代初めの沖縄ブームに接続されます。

 『つながる沖縄近現代史』で新城和博さんが自ら書いていますが、ワールドミュージックやサブカルの文脈に沖縄が回収されていきました。沖縄ブームというと、今は2000年代以降の「ちゅらさん」に代表される動きをイメージする人が多いかもしれません。しかし、復帰後だけに絞ってみても、沖縄ブームの変化には、 沖縄内部の反応と外からのイメージとのせめぎ合いが見られます。

古波藏 沖縄ブームについては三つぐらい論じ方があります。一つは沖縄が基地の島である現実を覆い隠すような本土にとって都合のいい「南の楽園」というイメージの流布。もう一つは、新城和博さんが指摘する沖縄の内と外の見え方のずれへの違和感と往復運動みたいなもの。三つ目は僕が感じていることですが、どこかで「われわれ」という意識を持てなくなっていることの裏返しとして、内地が出してくるような「温かい共同体社会沖縄」というものにすがりつきたくなる。そんな心情が作用しているのではないかと。言葉として「何々主義」というのが出てくるときは、たいてい実態が壊れているときですよね。壊れているものを補おうとするときの「叫び」みたいなものが、そういうところに出てきてしまうというのがある。

格差については、古くは「沖縄の文化と自然を守る十人委員会」の人たちが、復帰によって本当の沖縄は変わってしまった。かつて持っていた共同体も価値観も壊れてしまった。そして、いつのまにか金が全ての世の中になってしまった、と言っていました。あるいは新崎盛暉さんが、復帰前は貧しくて平等の社会だったが、復帰後には豊かで不平等な社会になった、と指摘しています。そのなれの果てが、3人に1人の子どもが貧困状態にあっても気づかないぐらいに社会が傷んでしまった今の沖縄なのかもしれません。島ぐるみ闘争と比較すれば分かりやすいですが、自分事にしか興味がないと言うか、他人事は他人事というような社会になってしまっていることへの耐えられなさが、幻想としての「共同体社会沖縄」にすがりついてしまう面があるのでは。「日本が見たい沖縄」と「沖縄が見たい自画像」が変な形で癒着することが起きているかもしれません。

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