編者が語る~座談会「つながる沖縄近現代史」【下】

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―22年1月末に少年たちが沖縄署前に集まって投石した件に対するSNSの反応を見ても、いまだに沖縄は特別な空間だという意識が本土側には残っているように感じます。

前田 基地に反対していること自体がネガティブに捉えられているように思います。なぜあなたたちはこれだけお金を受け取りながら基地を受け入れないんだ、と。すべてお金の論理に絡め取られています。 

―沖縄署の件は基地とは関係ないけれども、通底している面はあるかもしれないですね。

秋山 背景は同じじゃないですか。「権力に抵抗する」という行為を外側から見たとき、基地に結び付けるかどうかは別にしても、沖縄を色眼鏡で見るような見方は確実に働いていたと思います。

―そういう本土の反応についてどう思いますか。

秋山 そういう見方自体、コミュニケーションの前提を閉じてしまっていると思います。だからと言って、日本本土と沖縄を対置して断絶を強調するような流れとは距離を置き、批判的に見ないといけないとも思っています。

古波藏 Twitter で拡散している人たちの発信がサンプルになるとは思えません。しかし、仲間がひどい目に遭うと、ぱっと集まることができるつながり方が、沖縄の場合、「ヤンキー」の世界で生きているんだな、というのは感じました。こうしたムラ社会的なつながりは、打越正行さんの研究で、かなり具体的なイメージがつかめるようになってきました。打越さんの話に政治学の知見を踏まえて推測すると、そういうつながりは公共事業の分配経路や選挙の集票経路として利用されがちです。顔が見えている範囲でコミュニティが成立しているからです。そのせいでよく見られないことも多いですが、そこでの人のつながり方自体は、良い面・悪い面両方あると思います。そういう形態は日本本土の地方にもあると思うんですが、複雑な現実を抜きにして過剰に沖縄に投影しているところはあるかもしれません。

前田 貧困の問題も歴史の問題とつながるのかな、と思っています。 SNS の世界もそうですが歴史を見なくなっている。官房長官ですら、「戦後生まれなので歴史を知らない」と平気で発言しました。歴史といえば、せいぜい5年ぐらい前か、長くても30年ぐらいしか見ない人が多い。これは情報の伝達速度が速くなっているがゆえのことだとは思うんですが、現代の社会課題を解決する処方箋としての歴史学の視点は即効性がなくても重要です。SNS も反射的に主観だけで発信してしまう。警察に石を投げているのは悪いことだ、この人たちは悪い人だ、みたいな反応も反射的ですよね。社会のあらゆる場面で警察に楯突く=すぐに悪いことをしているといった見方になっていないかなと思います。背景に対する想像力が本当に貧しくなっていると感じます。

秋山道宏・古波藏契・前田勇樹共編著の『つながる沖縄近現代史』(ボーダーインク刊)

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