ある「右翼」の問いかけ――「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る」という劇薬

この記事の執筆者

2、嫌いだった故郷

職業は木工大工。注文を受け、千葉県内にある自宅の仕事場で家具を作る。42歳。そして大学3年生。専攻は地理学。神道を信仰し、農業にも取り組む。一昨年は、コロナ禍でアルバイトを失った学生を支援するために農作業を手伝ってもらった。

 昨年まで右翼団体「花瑛塾」を主宰。自宅に若い塾生たちを住まわせていたこともある。その中にはSNSで絡んできた“ネトウヨ”もいた。直接会おうと呼びかけ、対話した。弱い立場の人にヘイトを吐くなんて「ダサいだろ」と説き、塾の活動に招き入れたという。

記者会見で参院選東京選挙区での立候補を表明する中村之菊氏
=2022年6月6日、東京都庁

東京・浅草で育った生粋の下町っ子。でも、地元が好きになれなかった。言葉が荒っぽい、身体にしみついた仕草、態度がなんとなく尊大に見える・・・。高校に入り、自分の空間が広がった時、級友たちからそのことを言われて、初めて思った。なんて狭い町にいたのだろう、と。こんなところからは出たいと考えた。

 高校を中退し、10代で結婚。2児を出産。右翼団体に入ったのは18歳の時。街頭で演説を聞き、社会の問題に目が向いたという。だが、苛烈な政治思想を掲げる組織の中での女性の立場は、世間一般のそれ以上に苦難が多い。後から入ってきた男性が役を与えられても、自分は下積みのまま。17年間所属した団体で、発言権を持てるようになったのは、最後の2年ぐらいという。

 しかし学ぶことで自らを高めることを知る。「国を愛する」とは何であるか、そして「祖国日本」とは――。右翼の先人たちの思想、業績を繙き、近世、近代の日本における国学、農学に「解」を求めた。やがて自らの中で明確な言葉が形作られていく。

 「愛国」とは自らの郷土を愛すること、すなわち「愛郷」である――。

 嫌いだった故郷で2012年、東京スカイツリーが開業する。巨塔がそびえ立った場所は、子ども時代にみんなで遊んだ地。想い出の空間が汚されていくように感じられ、耐え難かった。でも、見る影もないほど様変わりした故郷が、なぜかたまらなく愛おしく思えた。

 そういう気持ちで、自分の国・日本を省みる。国家の根幹たる安全保障政策を、半ばアメリカにゆだね、その負担である米軍基地の多くを沖縄の地に押し付けながら、大半の国民はほとんど認識すらしていない。自身の思う「愛国」「愛郷」とは相容れない現実がある。米軍横田基地(東京)や横須賀基地(神奈川)へ赴き、抗議の声を上げるが、それ以上に過酷な現状が沖縄で続いていることを知らされる。

 所属していた右翼団体の会議で、そのことを問いかけた。居並ぶ幹部たちの多くが「日米地位協定」の意味さえわかってないことを知り、衝撃を受けた。若いころ「安保破棄」を口にしていた先輩が、老いるにつれ、日米安保体制での日本の安全を考えるようになる。ここにいて何が出来るだろう、と疑問がわいた。

 組織と決裂し、2016年に除名・脱退。その日のうちに、木川氏ら同じ志を持つ仲間とともに新たに「花瑛塾」を設立した。その頃から年に100日以上、沖縄へ行き、アメリカ海兵隊新基地建設の埋め立て工事が行われる名護市辺野古や、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設が問題になっていた東村高江で、基地建設反対の街宣活動を行った。そして出会った沖縄の人々と対話を重ねた。

 そこで見えてきたのも「郷土愛」だった。「愛国」の「国」<クニ>とは、すなわち自分自身の<ムラ>である。「愛国心」という、時に不穏な響きさえ耳に残る言葉よりも、「郷土愛」と呼んだ方がずっと明快で、しっくりくる。そう気づいた。

 沖縄の人々が、故郷の美ら海を埋め立てて軍事施設を建設することに反対するのは、「政治運動」でも「活動」でもなく、まさしく「生活」のためであり、言うならば「一揆」だ。さらに言えば、自分自身のために「愛郷心」を抱く人々を、他人が「運動」に駆り立てようとするのは、少し違うようにも思えた。

 だが、現地で反対運動を続ける人々からは容易には受け入れられなかった。彼らにとっての「右翼」とは、黒塗り街宣車から大音響で罵声と嘲笑を浴びせる連中だ。SNSで「左翼」らしき人物から執拗な攻撃を受けたこともある。やがて自分が戦う場所は「故郷・東京」であり、直接抗うべき相手は「我が日本政府」であると確信していく。

3、米軍基地を引き取る

2021年3月6日、東京・永田町の自由民主党本部前。拡声器で30分にわたって演説した。その日、取り上げたのは、辺野古の埋め立て用土砂の採取地に沖縄島南部が挙げられている問題。大戦末期、沖縄戦の激戦地だった南部の大地には、今も数知れぬ戦没者の遺骨が眠っている。

 「中国を叩いていれば『保守』だなんて思っていたら大間違いですよ! 南部にはたくさんの日本軍、米軍、地上戦に巻き込まれた沖縄県民の遺骨があります。これが辺野古の海に投げ捨てられる。死者をさらに殺してるんだ、あんたたち権力は! 自民党が言う『保守』って何なんだ! 戦没者をないがしろにして米軍に軍用地を提供したい? それのどこが『保守』なんだ! いつまで他国の軍隊に頼る日本を維持しようとしているのか!」

自民党本部前で演説する中村之菊氏。ジャージーには「米国の正義を疑え!!」
=2021年3月6日、東京・永田町

米軍基地は日本に要らない――と、中村氏は言う。では、なぜ「東京へ引き取る」なのか。今年5月20日、自身のツイッターでこう述べている。

 「いわゆる’沖縄本土復帰’なるものがまだ5年目10年目だとしたら、私はただただ’沖縄の米軍基地撤去’だけを言い続けたかも知れない。しかしもう50年以上が経過している状況を理解した上で、’基地は沖縄へ、安保は堅持’という本土の姿勢を是正出来ずに’撤去’だけを語るのは説得力に欠ける」

 「本土」の日本人に対して何も「負わせる」ことにならない「基地撤去」の主張のみでは、もはや有効な影響力を持ちえない。「基地引き取りはイヤミでやっている」とも言う。

花瑛塾顧問(当時)の木川智氏(左)とともに首相官邸前に座り込み、遺骨の入った土砂を辺野古埋め立てに使用しないよう訴える中村之菊氏=2021年3月4日、東京・永田町

沖縄の過重な米軍基地を「本土」に引き取るという市民運動は、2015年に大阪で「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」(引き取る行動・大阪)が結成され、以後、その主張を掲げる団体は全国に広がっている。

 今年3月、中村氏は大阪市大正区の「関西沖縄文庫」で、「引き取る行動・大阪」のメンバーと議論をした。辺野古に代わる基地移設地と説明したのが、1959年に示された「ネオ・トウキョウ・プラン」だった。当時の政界、経済界の大物による「産業計画会議」の提案で、東京湾の3分の2を埋め立てて工業用地や住宅地を確保するという計画案。実行には移されなかったが、その埋め立てを実現すれば沖縄の主要な基地をそこに引き取ることができる、という。

「引き取る行動・大阪」のメンバーらと議論する中村之菊氏(右)
=2022年3月6日、大阪市大正区の「関西沖縄文庫」

敗戦後の復興期から年月がたち、坂道を下り続ける現代の日本にとっては途方もない構想だ。しかも広大な埋め立てで失われる自然環境は計り知れない。が、それならば、日本防衛に役立つとは言えない海兵隊の新基地のために、沖縄の民意を徹底的に踏みにじり、莫大な予算を投じて辺野古の海を埋め立てることと、本質的にどう違うのか。東京湾はだめだが、大浦湾(辺野古崎のある沖縄島東岸の湾)なら埋めてもいいという理由は何なのか。

 「引き取り運動」は、「安保反対、基地撤去」を長年訴え続けてきた「左翼」系の運動が持ち得なかった鋭角の問いを、私たちに突き付けている。すなわち、沖縄島の面積の1割半を占有する米軍基地と、それに起因する様々な被害はすべての日本国民一人ひとりの問題にほかならぬ、という指摘だ。そのうえで、中村氏の主張がやや異なるのは、引き取り運動団体が「引き取る本土の場所」を挙げないのに対し、自身の故郷である「東京」を引き取り地と明示している点にある。問いであるとともに覚悟も込める。

この記事の執筆者