【インタビュー】宮本亜門さんと沖縄【上】

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勝手に憧れていればいい

 

亜門)親しみがあるんだけど、ときどきビシッと言われる。どういう風に接したらいいんだろう、と思わざるを得ない経験が何度かありました。那覇市内で仮住まいをしていた時期に、市内で開催されたシンポジウムに請われて出席しました。4人のパネリストの中でヤマトンチューは僕だけ。その席で僕は「沖縄はとても素晴らしいと思ってて、僕はとても興味があるんです」って話したら、「ヤマトンチューの話すことは、それでいいんだけど」って一喝されたことがあったんですよ。

 

松原)それ、どういう意味だったんですか?

 

亜門)まあ、勝手に憧れていればいいって。

 

松原)(苦笑)

 

亜門)僕は別に、おべんちゃらを言ったわけではなくて、本音を話したんです。それがすごい、なんかこう、みんなの前で、あんな言い方をされたのは初めてで、あまりにもショックでした。

家を建てて住み始めてからは、こんな経験もしました。近所の人たちと集まって雑談しているさなか、地元女性が被害に遭った凶悪事件の容疑者がヤマトンチュー男性だったという情報が入ったんです。そのとき、さっきまで楽しく話していた地元の人が、僕のいる前で「やっぱり、ヤマトンチューのすることさ」と言ったんです。やっぱり、皆さんそう思っているんだなと。正直言うと、すごい悔しいというか……自分の勝手な片思いだったんだなって。彼らも僕のことを愛し、認めてくれていると思うけど、やっぱり心の奥を探ると、こういう言葉が出てくるんだと。それほど根深い何かがあるんだということを思い始めて、これはもう、僕なんかが解決できない根深い歴史があるんじゃないかと。沖縄とヤマトの関係の過去を知れば知るほど、沖縄の人々がそういう気持ちになるのも分からないではない、と思うようになりました。ある意味では愛憎関係なんですが……。

こういう経験をして僕は、沖縄の人になりたいって言わなくなりました。こんな素晴らしいところで暮らしている沖縄の人々はうらやましいという思いはありますが、自分はヤマトンチューで、琉球王国にさかのぼる苦難の歴史を全部理解することはきっとできないんだろうと。でも、少しでも分かり合えればとも思いました。そのためにできることはやろうと思って飛び込むことにしたんです。

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