宮本亜門さんは39歳で沖縄への移住を決意し、沖縄本島南部の南城市内に家を建てた。東京や世界各地を忙しく飛び回る仕事の合間に、沖縄に「戻る」生活は1996年から2016年までの20年間に及んだ。亜門さんは今後、沖縄とどうつきあっていこうと考えているのか。【聞き手=松原耕二】
あらゆる時代と空間が交錯
松原)亜門さんが監督を務めた「BEAT」という映画は98年公開ですね。沖縄を撮ろうというのはプロデューサーが決めたんですか? 亜門さん自身が決めたんですか?
亜門)舞台も設定も僕が決めました。プロデューサーから「映画を撮らないか」という話をいただいた時点で、「沖縄にすごく興味があります」とアピールしました。又吉栄喜さんが「豚の報い」で芥川賞を受賞して間もない時期でしたが、すごく面白かったんですね。南米の小説みたいな、我々が現実と思っていることが実は非現実ではないのか、そんな見えない世界と結びつく世界に触発されました。それで僕の中では、やっぱり沖縄って、現実なのか、幻想なのかわからない世界というか。もしかしたら何十年前、何百年前の過去と、目の前にあるいろんなものが交じり合っている、あらゆる時代と空間が交差しているようなイメージが定着していきました。
松原)かつての戦争も、眼前の基地や音楽も、そこで暮らす人々も重層的で、ひだがいっぱいあるみたいな感じですかね。
亜門)そう。祖先崇拝もアニミズムもそうだし、あらゆるものが生きている、過去のものとして終わっていない。そんな複雑さも含めて映画で表現したいと思ったわけです。