【インタビュー】宮本亜門さんと沖縄【下】

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100人のウチナーンチュに話を聞いた

 

松原)映画「BEAT」の舞台は、1960年代のアメリカ統治下、しかもベトナム戦争の影響を受けている沖縄です。そこでウチナーンチュとヤマトンチュー、アメリカ兵、そして不思議な力を持った少年が関わり合いをもっていく。まさに沖縄の様々な表情を盛り込もうとした作品でしたが、当時の沖縄の空気は僕らにはなかなか肌で感じ取ることはできませんよね。

 

亜門)それで100人くらいのウチナーンチュに話を聞きました。

 

松原)そのときにかなり沖縄の歴史を学んだわけですね。

 

亜門)60年代のベトナム戦争真っただ中の混沌とした時代に、沖縄の人々が抱いた複雑な思いに触れました。アメリカ兵の親友がたくさんいたと涙ぐむ人や、俺は本当にあのアメリカ兵のジョーンが大好きだったんだ、でも帰ってこなかったんだと泣くおじさんもいました。沖縄の人を憎んでいる、と明かす沖縄の人もいました。

 

松原)え、沖縄の人が、沖縄の人を憎んでる?

 

亜門)ベトナムで戦死した兵士の遺体処理を仕事にしていた元基地従業員の女性です。人間は生きてるうちは国籍があるけど、遺体になっても「国の死体」として扱われる根源的意味を探りたいと思いました。そのことを彼女に問うと、「私は、人間は全部同じだと思う」と答えてくれました。だから、手足がちぎれてバラバラに送られてくる遺体も、なるべく元の姿に近づけるよう手当てしたんだと。決して気持ちのいい仕事ではないけど、同じ人間だからね、と本当に愛情を持って従事していた。その人が「沖縄の人を憎んでいる」というのは、そうした仕事に携わる彼女に対して周囲の沖縄の人々の視線はとても冷たかった、理解してもらえなかったという記憶があるからです。「アメリカ軍のために、そんなことまでやって」と変人扱いされ、そんな仕事はやめろとさんざん言われた、というんです。

 

沖縄の感覚を東京では共有できない

 

松原)沖縄の人もそれぞれ異なる価値観や立場、歴史を抱えて生きているんだということが見えてきたんですね。

 

亜門)そうなんです。もう、絶対結論は出せないと。僕は演劇をやっているから、全員が善と悪の両面を併せ持つという認識がもともとあるんですが。

 

松原)今の話を伺っていると、ドキュメンタリー番組「フェンス」を制作したときの僕の思いと重なりました。基地の中にいるアメリカ兵も、「基地反対派」と言われる人々も含め、沖縄で老若男女さまざまな人の話を聞いて番組を作ったんです。だから、今の沖縄に関する報道を見ていると、みんな基地に怒っているという感じで。それは一面本当だけど、ものすごく単色に映っています。亜門さんにはどう見えていますか?

 

亜門)マスコミは単色にしたいんじゃないんですか。記事としてはそのほうが書きやすいから。ただ、本土マスコミが沖縄の基地被害をどう取り上げようと、沖縄と本土の間にズレや誤解は払しょくできないと思います。基地や戦争に対する感覚は、沖縄と東京では全く異なります。米軍基地のない南城市で暮らしていても、軍用機が日常的に上空を飛来します。もうすぐ戦争が始まるのかな、という漠然とした不安な思いや、軍事や戦争が常に身近にある生活空間を、東京の人たちに実感させるのはかなり難しいでしょう。

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