【インタビュー】宮本亜門さんと沖縄【下】

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マスコミが乗せられると本質を失う

 

松原)南城市のお家からは、沖縄戦の激戦地「摩文仁の丘」が正面に見えますね。どんな思いだったんですか?

 

亜門)僕はやっぱり、あの家も「祈りの場所」だと思っていましたね。摩文仁の丘が正面に見えるというのは、完全に意味がある、聖なる場所というか。人間の内面の美醜や、自然の怖さと美しさ、そうした両極が渦巻いている場所なんだと今も思っています。

 

松原)今の本土と沖縄の関係ってどう見えますか? いわゆる「沖縄ヘイト」もネットなどで飛び交っています。「基地に反対している人たちは、みんな日当をもらっている活動家なんだ」とか。もう全然事実と違うことが飛び交っているわけですよね。そういう空気みたいなものは東京で何か感じますか?

 

亜門)そういう人たちは、沖縄だけでなく、韓国や中国に対しても同様だと思いますが、ヘイトの対象を探して、ヘイトを発信することが自分たちの権限だと勘違いしているのではないでしょうか。自分自身への苛立ちをぶつける敵を作り出すことによって、自分こそが正しいと思いたい。これは不安な状況に置かれた人がよく起こすことと同じです。確かに増えている印象はありますね。ただ、そういうほんの一部の人たちがSNSに書くことが多く、目立って見えるだけで、一般の人たちやマスコミがそれに乗せられると、つい本質を失いがちになります。僕は実際、沖縄を嫌う人たちが急増しているとは全く思いません。

 

「基地だけの沖縄」に抗え

 

松原)亜門さんは、この時期に家を売って沖縄を去ろうとしています。これはどうしてですか?

 

亜門)これは一言でいえば年齢の問題です。いよいよこれから還暦になるということもあるんだけど、少なくともあと10年間以上、世界中のさまざまな場所に出かけていろいろな人たちと交流して、創作活動を続けていくことを自分に課しています。10代からそう夢見てきたこともあって、時間が足りない、それだけです。なので、家を大切にしてくれる方に譲ったほうが良いかと。

 

松原)これから沖縄とはどういう風につきあっていきますか?

 

亜門)沖縄は僕の心のふるさとですね。場所のふるさとというよりも。時折訪ねて、祈らせてもらって、原点に戻って生きることを感謝させてもらう場所。そして、沖縄は僕にとって永遠に必要な場所です。だから、別れだとは思っていません。沖縄の根源的な原始信仰、自然とか、幸せの視点とか、いろいろ教わった気がしています。僕は東京の都会に生まれたので、沖縄で観たり経験したりしたことは、それまでの人生で全く感じ得なかったことでした。沖縄で感じて得たものを胸に抱き、それを旅の友とし、これからも創作活動を続けたいと思っています。

沖縄には日本の文化の原点が残っていると思います。「異国」の人たちとの接し方も学ぶべきことが多い。沖縄にはこれから生きるヒントが山のようにあると思うんです。だけど、こうした沖縄の魅力を沖縄の人たちが積極的にアピールしない限り、「基地だけの沖縄」になってしまうと危惧しています。基地を押し付けてきた責任はヤマトの側にあり、僕もその一員です。沖縄の基地削減にもっと意識を向けなければいけないと考えています。そのうえで、沖縄の若い人たちには、沖縄本来の良さを見失わず、「幸せのモノサシ」をしっかり守り育ててもらいたいと願っています。()

 

【宮本亜門さん略歴】

1958 東京・銀座生まれ。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として国内外で幅広い作品を手がけている。2004年 ニューヨーク、オン・ブロードウェイにて、ミュージカル「太平洋序曲」を東洋人初のブロードウェイ演出家として手がけ、同作はトニー賞4部門でノミネートされた。20183月にフランスのラン国立歌劇場で三島由紀夫原作、黛敏郎作曲のオペラ「金閣寺」を上演予定。

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