ペリーは何を語ったのか~「元米国防長官・沖縄への旅」を読み解く【その7】

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政治問題化するリスク

 

進行中の北朝鮮核危機を前に、国会等における議論を収斂させるため、野党・自民党が議論をリードして欲しいという外務省側の要望は、一見、理にかなったものとも見えなくもない。だが、政権与党を脇においたその種の行動に問題はないのだろうか。
実は、外務省側のアプローチを受けた橋本自身が、そのリスクを明白に認識していたと見える。橋本は、この自民党側との会合には、外務事務次官である齋藤が単身で臨んだと語る。「(会合には)齋藤くん一人で。やはり政権に遠慮されていましたから、もし何かあったときに責任は自分だけで、ということがあったのでしょう。あれ以来、齋藤さんという次官は立派な人だなと思って見ておりますが、彼は一人で見えました」(橋本)。
しかし、実際には齋藤が単身で毎回の会合に趣いていたわけではないことは、橋本の証言からも透けて見える。すなわち、橋本は上述のように「彼(齋藤)は一人で見えました」という一方で、それに先立つ「(会合には)齋藤次官は毎回出るわけではなくて・・・」という問いかけに対しては、「実際上は齋藤くんが来てくれる方が多かったです」と、外務省側からは齋藤だけが参加したしたわけではないことを暗に認める形となっている。おそらく橋本はインタビューに答えながら、この件が表面化し、問題視されるリスクを認識し、齋藤一人がリスクを背負ったという話しに持って行こうとしたのであろう。
橋本が政治問題化するリスクを意識したと見られる自民党と外務省との定期的な会合だが、当時の外務省幹部はその内実を以下のように、より具体的に語っている。

「官邸には言えないような機密性の高い話も・・・」

 

当時、外務省総合外交政策局の局長であった柳井俊二(その後、外務事務次官や駐米大使などを歴任)は、橋本ら自民党側との会合について次のように語る。「毎回というわけではなかったですが、僕も入っていました。次官とか北米局長とか、主な幹部が参加していました」「(首相)官邸には言えないような機密性の高い話も橋本さんなら言えるというのがあったですね」(五百旗頭真他編『外交激変 元外務省事務次官 柳井俊二』朝日新聞社、2007年、151-152頁)。
野党である自民党と外務省首脳が水面下で定期的な会合を持ち、さらには「官邸には言えないような機密性の高い話も(自民党政調会長の橋本に対してなら)言える」とまでなると、果たしてどうであろうか。
この点について柳井は、「北朝鮮に核開発をやめさせることについては、だれも異論がないわけです。だから、核の問題について政府内でもめたということはないですね」と語る一方、細川政権時の閣僚の対応について、「あまり理解していただけなかったですね。こちらに任せてくれればいいんだけど、なかなかそうは言わない」と振り返る。
そして「われわれは特に機密情報の扱いに神経を使い、非常に気をつけて渡しましたね。正直言って、そこは危ないと思いましたね」と語り、「ということは、外に漏れる恐れがあると考えて重要な情報は政府首脳にもあまり渡さなかったんですか」という問いに対して、「そうですね」とうなずく。
さらには「国家公務員法で機密情報については守秘義務があるはずですが」という問いに対して、「そう。機密保持の義務がありますね。でも、それを守らない人に渡すというのも国家公務員法違反になるかもしれませんね(笑)」と実に率直に語る。(『外交激変』143-146頁)。
この一件は、立場を変えて非自民連立政権の側からすれば、外交・安全保障政策を掌握・統制することが、いかに困難であったかを物語る。もちろん、肝心の与党内で統制がとれていなかったことが、問題のもう一つの側面であることは言うまでもない。

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