ペリーは何を語ったのか~「元米国防長官・沖縄への旅」を読み解く【その7】

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政党政治による外交・安全保障の統制とは

 

ところで機密情報が漏洩する可能性は、何も非自民勢力が与党だったときに限られるわけではない。小泉純一郎政権では2001年の「9.11同時多発テロ」に際して、田中真紀子外相が、米国務省の緊急避難先を記者団に対して漏らしたとして盛んに報道された。
田中外相をめぐっては、この他に大量のスキャンダルじみた情報が報道されたが、その中には官庁サイドからの積極的な漏洩と見られるものも少なくなかった(前澤猛「リークと誤訳に揺れた’01年外務省周辺ニュースを追う」『新聞通信調査会報』第470号、2002年)。最後は外務省に影響力を持っていた鈴木宗男代議士との確執も絡んで、田中外相は事実上の更迭に至った。
それはともかくとしても、政権交代が常態化した冷戦後の日本政治においては、新たに政権与党の座に就いた政治勢力、特に非自民の側が権力を実体としても掌握する上で、外交・安全保障政策には独特のハードルが存在するといってよかろう。
自民党に担ぎ上げられた形ではあったが、社会党委員長として1995年に首相の座に就いた村山富市は、政権発足直後を振り返って、「とにかく日米安保という重圧・・・」という言葉を漏らしている。
そもそも「日米安保体制」という言葉からして、一政権が掌握し、方向付ける政策領域というよりも、歴代政権が受け継ぎ、引き継ぐべき「体制」であるというニュアンスが滲む。村山が感じた「重圧」は、「体制」と化した日米安保の重さに他ならない。
曲がりなりにも政権与党が掌握しうる内政問題に比べて、外交・安全保障分野、特に日米安保にはアメリカという要素があり、当然のことながら日本の国内問題としては完結し得ない。そして「アメリカの意向」を口にする外交当局を頭越しにして、政権与党が直接に「アメリカの意向」を確認することは必ずしも容易ではない。
日米安保体制の根幹を成すのは、アメリカの日本防衛義務に対して、日本側の基地提供義務であり、そして日本が提供する米軍専用施設のおよそ7割が沖縄に集中する。沖縄基地問題とは、日米安保体制と表裏を成す問題である。政党政治が外交・安全保障政策をいかにして把握するか。政党政治を民主主義と言い換えてもよかろう。その最前線が沖縄基地問題なのである。
こういえば誰しも、鳩山由紀夫・民主党政権下における普天間基地返還・辺野古新基地構想をめぐる模索と挫折を思い起こすであろう。しかしそれに先立つ1996年、首相として劇的な普天間基地返還合意にこぎ着けたと見える橋本龍太郎もまた、そこに至る過程で、外務・防衛当局の掌握に苦心し、多大な労力を注いだ様子が、今回のETV特集「ペリーの告白」におけるペリーの発言から浮かび上がるのである。次回はこの点を中心に、問題を掘り下げてみたい。
(以下、次回につづく)

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