名護市長選挙の20年

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勝利のセオリー

 

この20年間の名護市長選挙を振り返ったとき、指摘できることが三点ある。
第一に、基地移設賛成を前面に押し出して勝利した候補者はいないことである。これまで移設賛成派の支持を受けて勝利した候補者は、基地問題を争点にしないで選挙戦を戦った。
1998年の市長選では、勝利した岸本建男氏は、当時の大田昌秀沖縄県知事が移設反対という立場であることから、この問題は終結したという立場をとった。岸本市長はその後、1999年に条件付きで移設を受け入れたが、次の2002年の選挙では、岸本陣営は、経済問題を争点とし、「名護市の問題は基地問題だけではありません」として、「県と国との対話」による経済振興を訴えた。これは、対抗する宮城康博陣営が「基地建設の是非を問う選挙」と位置付けたのと好対照であり、地元の「不況」「基地疲れ」を背景に、岸本陣営が圧勝した。2006年の選挙では、日米両政府が合意した「沿岸案」について、三人の候補者が「反対」を表明する中で、岸本市長の後継で修正協議には応じるとした島袋吉和氏が勝利した。逆に、2014年の選挙で、辺野古移設推進を明確に掲げた末松文信氏は、移設反対を唱える稲嶺進氏に敗北した。
今回2018年選挙で、渡具知氏は、辺野古移設賛否を明言せず、日本政府と沖縄県の裁判を見守るとし、この問題が争点になるのを避け、経済振興を強調した。これは、前回、末松陣営が移設推進を明確化したことに対して自主投票とした公明党から支持を取り付けるためにも必要だった。渡具知陣営の戦略は、まさに「勝利のセオリー」通りであったといえる。

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