国策に翻弄される名護市
2018年2月4日に投開票された沖縄県の名護市長選挙では、普天間飛行場の辺野古移設を推進しようとする政府・自民党が支援する渡具知武豊氏が、移設に反対し三選を目指す現職の稲嶺進氏に勝利した。この選挙の結果は、今後の辺野古移設問題や今年11月頃に予定される沖縄県知事選挙に大きな影響を与えることが予想される。
振り返れば、1996年12月のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告で、普天間飛行場の移設先に名護市辺野古が挙げられて以来、名護市民は、20年にわたって国策に翻弄されてきた。1998年以降の名護市長選挙は、日米関係や日本の安全保障に大きな影響を及ぼすものとして、政府や主要政党を巻き込んで行われ、日本全国でその結果が注目されてきたのだ。本稿では、過去20年間の名護市長選挙の中で今回の選挙を考える。
移設賛成派4勝VS移設反対2勝
1996年末に普天間飛行場の移設先として名護市辺野古が挙げられた後、名護市では代替施設となる海上ヘリ基地の建設の是非を問う市民投票が1997年12月21日に行われた。結果は、条件付きを合わせた反対票が1万6639票、条件付き賛成票の1万4267票で、名護市の住民の多数が移設基地受け入れを拒絶したのである。
ところが、12月25日、比嘉鉄也名護市長は、橋本龍太郎首相との会談で、北部地域の振興と引き換えに海上基地建設を受け入れる考えを示すとともに、市長辞任の意向を伝えた。しかも、翌年1月に行われた名護市長選挙では、基地建設賛成派が推す岸本建男が勝利した。このようなねじれた状況の中で、名護市長選挙は行われてきたのである。
この20年間の名護市長選挙の結果を見てみよう。