おわりのはじまり

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国の対応の差は?

 

同日、新名護市長が当選報告で上京していた。

争点をずらし、グレーな感じで晴れ間のない市長当選だと思った。

今はずっと先に続いていて、現実問題をクリアにしなくても、やがて必ず視界は開けてくる。

そのとき名護が置かれる状況を、私は宜野湾市民、事故の当事者、ただの母親として色んな思いを感じた。

同日の私たちの要請行動と、名護市長の当選訪問。問題を抱え見据える先は同じなはず。だけど、この差は国の対応の表れのような気がしてならなかった。

 

私はただの一県民、当事者、母親。でも落下物事故で目の前の基地問題のモヤが取れ、物事がクリアに見えた現実の3ヶ月。

1番怖いのは無関心と諦めだと痛感した。ずっと基地のそばで育ち、当たり前だと思ってきた事は当たり前じゃなく、異常な上に成り立っている日常だった。

私が声を上げても無駄だと諦める。だって、どうあがいても基地は無くならない。そうあの日以前まで思っていた。だけど昨年12月7日、生命を揺さぶられる程の現実を目の当たりにした。

当たり前の空はもう当たり前じゃない。

誰が子どもたちの空を守る?私たち大人だ。こんな思いをさせたくたい、ずっと県民は国、アメリカと闘ってきた。どうして沖縄だけ。

事実を突きつけられた3ヶ月。2月13、14日の2日間、要請行動は終わった。おわりのはじまり。終わりのスタートに立ち、そして動き出す。

ただの母親だった昨年の12月6日。

そして当事者になり人生が変わった12月7日。

上空飛行はあの日から何も変わらず日々飛び交い、部品を落とし続け不時着を繰り返す。

絶対に何かを変えてみせる。1つの布石になる。母親たちが子を守る当たり前のこと。シンプルな願いと行動。

終わりの始まり。それを信じて又4月から形を変えて母親たちの闘いが始まる。

 

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