奇妙な倒錯
一見、なるほどそうかと思わせる管の「率直な物言い」である。防衛協力を通じてアメリカと対等な関係を築き、その上でアメリカに対して率直にものが言えるような健全なパートナーシップを構築する。それは上述の戦後日本外交の「本流」に連なるかにも見える。
しかし、実際の展開はどうであろうか。安保法制の整備を筆頭とする日米防衛協力の強化は、その後、第二次安倍政権が最も注力し、政権の体力を消耗することも厭わずに押し進めてきた課題である。菅の論法でいえば、対米協力の実質を築き上げた安倍政権だからこそ、沖縄についてもアメリカにものが言えるはずである。ところが実際には、米海兵隊の権益の「焼け太り」実現のために、日々、勤しんでいるという状況である。
一方、「沖縄を売った男」(前掲書のタイトル)というラベルを貼られることになった仲井真だが、同書は次のような仲井真の「本心」を綴る。「みんな間違っていると僕(仲井真)は思っていましたよ。本当は(普天間移設を)もっとやりやすい場所があるはず、腰を据えて取り組めば、すぐに解決できる。米国の政治家も本気になってくれれば、簡単な話だとね・・・でも、日米両政府をそう思わせるだけで、また10年、20年かかると思ったら、(辺野古沿岸の)埋め立ての審査の結果がマル(適合)になったらしようがないかなという気になりましたよ」(同書205頁)。
このように菅、仲井真という辺野古現行案推進の主たる担い手、二人の肉声を改めて掬い上げてみたとき、奇妙な倒錯感を抱かざるを得ない。普天間の危険除去のためには、県外の活用されていない滑走路を使った方がはるかに早いと考え、辺野古にこだわる関係者を「みんな間違っている」と考えていた仲井真。安保法制の整備など、対米防衛協力の実質を積み上げることによって、「敗戦国」から対等な立場に立ち、沖縄についてもアメリカにものが言えるようになると語る菅。
そうであれば、この二人の組み合わせは、対米防衛協力を進めることによってアメリカ側の信任を獲得し、そのことによって普天間基地の「移設」ではなく、「返還」を実現するという返還合意の本来の道筋を追求・実現する上で、これ以上ない理想的な担い手となるはずである。