「普天間返還合意」とは、結局何だったのか⑥完

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「政治」の不在という深刻さ

 

鳩山政権下での「最低でも県外」は、同政権が打ち出した核密約の解明や、東アジア共同体からのアメリカの排除(鳩山由紀夫首相ではなく、岡田克也外相がこれを強調したのだが)など、アメリカが敏感に反応する問題と並行して提起されたことによって、アメリカ政府、そして日本国内でも「アメリカ離れ」の象徴と見なされて頓挫した。

また、「最低でも県外」という分かりやすいキャッチフレーズは、現在の普天間基地がそのままの規模・形態でどこかに移設されるようなイメージを広め、機能の分散などによって、大規模な代替施設の建設を不要にするといったシナリオがあることを見えにくくしてしまった。

これに対して、仮に菅・仲井真のコンビが、対米協力を進めることによってアメリカ側の信任を獲得し、その上で、大規模な代替施設なしに普天間基地を返還することが、日米同盟の一層の政治的安定にもつながるのだとアメリカ側を説得できるのであれば、まさに戦後日本外交の「本流」を受け継ぐ政治指導者となったに違いない。

しかし普天間・辺野古問題の現状はどうであろうか。菅は「安保法制の整備や日米の防衛協力を進めて米国と対等の関係を築き、沖縄についても米国にものを言えるようにしていかないといけない」という決意は放擲し、「日本は米国に戦争で負けたんです。だから米国には言えないこともある」という部分だけを肥大化させているのであろうか。

尖閣など島嶼防衛は、日米ガイドラインによって自衛隊の任務とされており、辺野古新基地を建設したからといって、米軍の関与が強まるわけではない(アメリカから見れば、尖閣をめぐる日中の軍事衝突に巻き込まれたくないのは当然であろう)。中国台頭を前に、基地が沖縄に集中し過ぎることへのリスクを指摘する声も専門家の間に根強い。

戦略もなく、歴史観もなく、政敵となった翁長知事打倒を主たる動機として新基地建設の既成事実化に勤しむのが現政権の姿だとすれば、歴代政権と比べてみても、「安倍一強」という世評とは裏腹の「政治の軽さ」が際立つ。本来的な意味での政治の「不在」。それが普天間・辺野古問題が浮かび上がらせる日本政治の深刻な現状なのである。それが沖縄だけの問題ではないことは、言うまでもなかろう。(シリーズ完)

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