コラム 穀雨南風③~広場の政治

この記事の執筆者

国会前の風景

 

原武史さんと皇居前広場を歩いたのは、日本人の政治への関わりについて考えるためだった。

森友・加計問題、公文書の改ざん、防衛省の日報隠蔽など、底が抜けたように次々と問題が出てくるなか、金曜の夜になると国会や官邸の前で多くの人が集って抗議の声を上げている。行ってみて驚くのは、警察官の数の多さだ。こう言ってはなんだけど、丸腰の市民が集って声を上げているだけなのだ。それなのにびっしりと警察官が垣根を作るように並び、人々を歩道の端に追いこんで身動きがとれないようにしている。車はほとんど通っていないに、車道を開放しようという気もない。人々は細長い列になるだけで、「集まる」という状態にさせてもらえないのだ。60年の安保闘争のときのように、国会前を「広場化」させないことが、警察にとっては大事なのだろう。

一度、警察がつくった柵が決壊し、国会前の車道に人々が出ていく場面があった。どう見ても歩道におさまりきれない人の波に、その時ばかりは警察はなすすべもなく見ているだけだったのだけれど、その日は土曜日、もともと交通量がほとんどない国会前の道路がふさがれたからといって、困った人がいただろうか。

警察の過剰警備とともに感じてしまうのは、こうした集会やデモに参加する人の少なさだ。数百人、数千人集まれば、少ないなんて言えないのかもしれない。しかし朴槿恵大統領の退陣を求める韓国の100万人デモ、トランプ大統領就任に反対する50万人のウーマンズ・マーチを現地で取材し、その熱気を肌で感じた経験を思い出すたび、「自分たちの手で政治を変える」という意識が日本人には希薄なのではないかと、どうしても思ってしまうのだ。

この記事の執筆者