選挙が政治参加のすべてなのか
たとえば韓国では、なぜそれほど直接民主主義的な意識が強いのか。軍事政権を自らの手で民主化した成功体験が、人々を動かしているという解説がよく聞かれる。しかしそれだけではないと、原さんは指摘する。
「儒教のイデオロギーっていうのが、もともと朝鮮王朝の時代から強くあって、だから王は民の声を聞かなきゃいけないんです。そうしないと革命が起こっちゃう。だから直訴というものが認められてたんですね。王宮の門の前に人々が集まり、そこに王が現れると人々がこうしてくれ、ああしてくれと訴えるんです。それを王が聞き入れるという文化が、18世紀に完全に確立されていたんですよ」
日本では、徳川幕府の将軍が民の前に出て意見を聞くことなどなかった。
「人々は沿道で土下座して、権力者の存在自体を直接は見られないわけですよね。だから権力者が実態を隠すというんですかね。だからどこに権力があるということを具体的に示さないというか、そういう文化が江戸時代にできちゃってる。つまり将軍が見えないもの、隠れているもの、畏れ多いもの。近づけないもの、その感覚がやっぱり明治にも継承されているんですよ」
1901年、足尾鉱毒事件について天皇に直訴しようとした田中正造が警察に逮捕されたのは、有名な話だ。
もちろん「広場の政治」の萌芽というべきものが、日本にも生まれていないわけではない。
「ひとりひとりが声を出すことによって反映できるんだという感覚ってものが、本当はあったはずなんです。たとえば明治の始めに自由民権運動っていうものがあったじゃないですか。あのときだって全国各地にものすごい数の勉強会というか学習会が開かれていたわけだし、五日市憲法みたいな非常に民主的な憲法ができたりとかですね。でもそういったものは途中で粉砕されてしまう」
その後の大正デモクラシー、戦後まもなく皇居前広場で根付きかけた「広場の政治」、さらには国会前が舞台となった60年安保や、新宿西口の地下広場で繰り広げられたベトナム反戦運動も、結局、潰えてしまう。
そのことは今の政治にどうつながっているのだろう。
「我々の政治に対する感覚というか、イメージっていうものを、すごく変えたというか、要するに代議制というものが、ある意味あたりまえになってくるっていうんですか。何か不満があったり、何か政治的な意見を言いたい、主張したいと思ったりしても、結局その手段というものが、選挙に行って投票するってことしかできないって風に、なっているのではないかという気がします」