失われる政治的求心力
結局、安倍首相は、4か月もの間、翁長知事と会おうとしなかった。このときの怒りを、翁長知事は生前、何度も語っている。その後、日本政府と沖縄県との間で行われた辺野古移設問題についての協議でも、対話はかみ合わなかった。深刻なことは、沖縄の苦難の歴史への理解を求める翁長氏に対し、日本政府が理解を示さなかったことである。象徴的なのは、「私は戦後生まれなので歴史を持ち出されては困ります」と述べる菅官房長官との会談が決裂した際、翁長氏が「お互いに別々の戦後の時を生きてきたのですね」と捨て台詞のように述べた場面である。
翁長氏は、野中広務氏、小渕恵三氏、橋本龍太郎氏、梶山静六氏ら、沖縄と対話をすることができたかつての自民党政治家を高く評価していた。野中氏、小渕氏、橋本氏、梶山氏らはみな自民党の旧竹下派に属し、日米安保や基地を重視しながらも、沖縄の歴史や基地負担に対し思いやりの気持ちを持っていた。しかし、旧福田派の小泉純一郎氏や安倍晋三氏が政権につくと、このような沖縄と日本政府との対話は成り立たなくなった。異なる歴史を歩んだ沖縄への日本政府・日本本土の「共感」がない中で、対話は行き詰まり、翁長氏はますます日本政府との対決へと傾斜せざるをえなくなった。
また翁長氏自身の言葉は、多くの沖縄県民の支持を得たが、自民党に反旗を翻した彼自身の政治基盤は決して盤石ではなかった。そのため翁長氏は、地元の中道・保守勢力をも巻き込んでウィングを広げ、保守と革新をまたいで本当の意味での「オール沖縄」を作ることを目指したようだが、うまくいかなかった。政治勢力としての「オール沖縄」とは、実際には、翁長+革新であった。その後、「オール沖縄」陣営は、辺野古移設問題が争点となった国政選挙では勝利したものの、宜野湾市長選挙などの地元の首長選挙では相次いで敗れた。辺野古移設のための埋め立て承認取り消しをめぐって2016年12月の最高裁判所の判決でも沖縄県が敗訴し、その後移設工事が進んだ。こうして翁長氏の沖縄での政治的求心力は徐々に失われ、沖縄県内でも、いくら反対しても日本政府は移設工事を進めてしまうという「あきらめ」感が生じてきたことは否めない。さらに2018年2月の名護市長選挙では、自民党が支援し事実上辺野古移設を容認する渡具知武豊氏が、移設に反対する現職稲嶺進氏に勝利し、「オール沖縄」陣営は、大きな打撃を受けたのである。
こうした中、移設工事のための土砂投入が8月17日に開始されることが発表された。これに対し翁長氏は、移設工事を止め、さらに政治的求心力を回復するため、ついに7月27日、「伝家の宝刀」とも言われる埋め立て承認の撤回に入ることを発表した。しかし、その後、翁長氏の病状は悪化し、実際には撤回を自らの手で行うことなく死去した。