「オール沖縄」というDNA
しかし、と今思う。翁長氏が辺野古移設を本当に阻止できると信じていたかどうかは、私にはわからない。彼がこう言ったのが耳に残っている。「自分は自民党にいたから、その権力と向き合うことがどれだけ難しいか、一番よくわかっている」と。
知事選の最中に行ったインタビューでも、翁長氏はすでにこんな言葉を発していた。
「オール沖縄というのはDNAとしては必ず残りますから。敵対心でやってきた人たちがね、この選挙を通じてご一緒しましたから。これが必ず、DNAとして残っていって、10年後、20年後の政治家がね、それを受けとめてね。また戦後のぼくらとは違う、ドル時代を知らない人たちが仕切る世代になっていきますので、ぼくら上の世代が残した価値観と融合して新しい沖縄を作っていってほしい」
そして今考えると、遺言ともとれる言葉を残していた。知事選に勝ったとき奥さんは何ておっしゃいましたか、という私の質問に翁長氏はこう答えた。
「大変理解をしてくれていて、それこそぼくが政治をやる中で死んでいっても泣かないじゃないかな。要するに政治をやる中で、何かわかんないですが、身体を悪くしても、お父さん、思い通りにやったね、と言ってくれるんじゃないかと」
「本望だと?」と私が言うと、翁長氏は肯いた。「それくらいすべて政治に打ち込んでまいりました」
ここまで書いて、私は自分が心のなかで翁長氏に告げた別れの言葉、その意味に思い至った。
翁長氏はインタビューの最中でも、容赦なかった。
「あなたたち本土の人には理解できないだろうけど」
「あなたたち本土の人は無関心ですよ」
「本土の人は反省してもらいたい」
折りに触れて交わしたやりとりのなかで、こうした言葉を何度、突きつけられただろう。私はそのたび、たじろぎ、言葉を失った。記者として沖縄を取材するなかで、どこか自分は安全な中立の場所に身を置いて話を聞いていると思っていたのだろう。「あなたたち本土の人は」という言葉を初めて面と向かって繰り返し投げかけられたことで、私自身が激しく揺り動かされた。そして自分のなかにある本土性、これまで見て見ぬふりをしてきたものについて見つめないではいられなくなった。それは沖縄を考えるうえで、今も私に緊張感を与え、律し続けているように思う。
2ヶ月ほど前、翁長氏に最後に会ったときにお礼の言葉が浮かんだのは、そうした気持ちからではなかったか。
「ありがとうございました」
その思いは、これからも私の中で消えることはないはずだ。
【本稿はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】
*今号は「全身政治家だった翁長雄志・沖縄県知事」(WEBRONZA-朝日新聞社の言論サイト)を加筆、修正して掲載しました。