翁長雄志知事の急逝を受け、前倒しされた沖縄県知事選の投開票が目前に迫る。
沖縄近現代史家の伊佐眞一は『琉球新報』(8月24日付)で、翁長を「沖縄人が戦後ずっと今日まで身にうけた歴史体験を凝縮していた」と評し、その言動は「沖縄人が公の場所では逡巡し恐れを感じる内面の奥深い姿であって、それはそのままヤマトに向けられる矢となった」と説く。
「本土」は矢をどう受け止めたのか。伊佐は付言する。
「なぜ県外移設せずに沖縄に押し付けるのかという翁長の問いをよそに、東京の名士たちが翁長は民主主義の希望だと持ち上げるのを聞くと、今更ながらヤマトと沖縄の戦後史の相違を痛感する」
『現代短歌』(現代短歌社)8月号掲載の一首に打たれた。
沖縄を翁長雄志を孤立させて深く恥づべしわたしもあなたも(永田和宏)
亀裂は「沖縄と本土」の溝を越え、コミュニティの内部まで浸潤していないか。
6月に那覇市で開かれた同社主催のシンポ「分断をどう越えるか―沖縄と短歌―」に参加した大城和子は同号で、「権力が介在する時、分断は根深い」と喝破する。
辺野古の新基地建設反対の民意は「如何に叫んでも、行動しても、その声が、想いが届くことはない」。一方で政府は「強権を発動し、反対行動を排除し工事を続ける」。やがて、「諦めへと誘う権力の巧妙な手口。解っているのに嵌る罠」によって地元の民意は分断されていく。
分断を強いるのは政府権力に限らない。SNSでこんなメッセージに出合った。
「デニーさんを応援しに本土から来る人たちは、なぜ辺野古ばかり争点化したがるの? せっかくミックスルーツでダイバーシティを掲げる人物が出てきたんだから、そこ推してよ」
「辺野古阻止」を唱える候補も、「辺野古」の争点化を避ける候補も、知事選では共に「団結」や「和」を呼び掛けた。分断を強いたのは、米海兵隊基地を沖縄に押し付けた外部の「私たち」である。