分断強いる「強者」の論理~米日の重層支配の下で

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作家の崎浜慎は『沖縄タイムス』(8月16日付)で、早世した屋嘉比収の著書『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』(世織書房)を引く。沖縄戦の<当事者性>をいかに獲得していくかとの問いと向き合い、経験を「共有し分かち合う」ことを提案した屋嘉比の思考に崎浜は心を寄せる。そして、内部の「私たち」に向けてこう問う。

「いつから私たちは、日米同盟のために基地は必要、中国が攻めてくるから基地はなくてはならないのだと、自分の経験から生まれたのではない、与えられた言葉をいかにも自分の物のように使う、または簡単に容認するようになったのだろうか」

崎浜は「まなざしは未来と同時に過去にも届いていなくてはならない」ともつづる。

当事者の記録を基に歴史の真相に迫ったのが、『検証米秘密指定報告書「ケーススタディ沖縄返還」』(西山太吉監修・土江真樹子訳・高嶺朝一協力、岩波書店)だ。元毎日新聞記者の西山太吉は、沖縄返還交渉の内実が米側の「完勝」だったことをあぶりだす。

「その勝利のシグナルが辺野古新基地建設との見方もある」が、それは象徴的な断片に過ぎない。米側は「今日の在日米軍基地の(いまでは、ほぼ完全な)自由使用あるいは、膨大な財政負担の日本への全面的な転嫁など米側に永続的とも言える巨大『利益』をもたらす基礎をつくることに成功した」のである。

従属させられている側に「完敗」の自覚がなければ、強者の論理は永続的に機能し、「利益」は固定化される。

米政府で同交渉を担当したモートン・ハルペリンは約半世紀後に沖縄を再訪し、米軍基地が「ほぼそのまま残っていた」ことに「驚愕した」と共同通信への寄稿で吐露している。ハルペリンは「歴代日本政府は一体なぜ、本土基地の整理縮小を優先し、在沖縄基地を返還前と同じような状態に留め置くことを許したのか」と詰問する。

日本政府は、沖縄に軍事基地を「留め置く」だけでは済まない方向に踏みだしつつあるようにも映る。米国、日本の重層支配の下層に組み込まれた沖縄が、自発的にその中枢に接続しようとするとき、何が起きるのか。

『琉球新報』は慰霊の日(6月23日付)に、こんな「沖縄の一首」を掲載した。
沖縄戦かく戦えりと世の人の知るまで
真白なる丘に木よ生えるな草よ繁るな (仲宗根政善)

沖縄は再び「捨て石」にされかねない。そんな予感を覆うように、より良い「未来」への掛け声が飛び交う。知事選の行方に胸騒ぎがやまない。
【本稿は9月29日付毎日新聞「沖縄論壇時評」を一部修正の上、転載しました】

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