「新時代沖縄」を経済界の変化から読み解く

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 建設業界の変化と意識される脱公共事業

 

建設業界では、2000年代に入り、それまで抱えていた矛盾が表面化した。その争点の一つが、受注の多くを公共事業に頼っていたことから生じた談合問題であった。2005年6月、公正取引委員会は、特A業者(施行能力に応じた格付けの最上ランク)96社と協会の立ち入り調査を実施し、翌年3月には、談合の廃止を求める排除命令措置と30億円におよぶ課徴金納付を命じたのである。沖縄県もこの判断を受け、当初は100億円近くの損害賠償を請求するなど、建設業界を揺るがす事態となった。

このような状況を前に、ある建設業者は、「沖縄は『聖域』だと思っていた。米軍基地を負担し、労働条件も悪く給料も安い、そして失業率は全国一高い。[中略]おそらく公共工事がメインの業者の多くが潰れるだろう」(『週刊沖縄建設新聞』2005年6月15日)と危機感をあらわにしていた。この談合問題は、莫大な課徴金や賠償金というインパクトだけでなく、公共事業(基地関連の受注も含め)に過度に依存することへの危機感を、業界内にもたらしたと言える。

このことが、その後、建設業界の政治的な態度の変化としても現れることになる。2009年の衆議院議員選挙への対応において、沖縄県建設業協会の呉屋守將会長は、「建設業界はオートマチックに自民を支持してきたが、本当に協会のため、沖縄の経済振興に良いことか考え直す時期だ」として「推薦」を取りやめた。この判断は、公共事業の削減を掲げた民主党が政権をとることへの「リスク回避」との指摘もあったが、業界内部でも公共事業へ依存することの限界が認識されはじめていた(『琉球新報』2009年7月16日 )。このような業界の変化のなかで、2010年には、照正組の照屋氏が協会会長に就任する。照正組は他の大手建設業と異なり民間受注を中心としており、また、照屋氏は協会の副会長として談合問題への対応を行っていた。筆者らの行ったインタビューにおいて、照屋氏は、この会長就任について、次のように語っていた。

 

建設業協会の会長というのは、ちょっと特殊で、業界の利害調整役だからね。そもそも私は、脱公共依存できている会社の社長でしょ。公共事業での利害関係というのになじまないわけですよ。[中略](筆者:会長を固辞した際に)先輩方が何と言ったかというと、「だから、あんたがいいんだよ」と。つまり、利害調整する立場だから、ニュートラルな方がいいとね(『戦後沖縄の証言』、106頁)。

 

まさに、建設業界は、直面する課題解決に向けた動きのなかで、内部の力関係も変わっていったと言える。照屋氏の会長就任後、2010年に行われた知事選でも、協会は衆議院議員選挙と同様に「特定の候補を支持しない」という判断を下した。現在、両氏は「オール沖縄」を支えているが、その考えの根底には、「公共事業だけではやっていけない」という建設業界における危機感が横たわっている。

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