コラム 穀雨南風⑥~「心を寄せる」と「寄り添う」の距離

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天皇としての旅

 

天皇陛下がひとりの人間としての感情を、公の場でこれほど表に出したことがあっただろうか。

およそ16分間の間に、天皇陛下は4度、大きく声を震わせた。平成最後の誕生日を前に行われた記者会見でのことだ。

 

皇后陛下の献身への感謝の気持ちを口にしたくだりでは、最も感情があふれ出たと言ってもいい。「天皇としての旅を終えようとしている今」、と自らの人生を旅にたとえたあと、国民に感謝するとともに、「私の旅に加わった」皇后への思いを語っているのだ。

「結婚以来、皇后は常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場を支えてきてくれました」と口にしたときには、明らかに感極まった様子だった。

 

また戦後の繁栄は、先の大戦での多くの犠牲の上になりたっている、と語ったとき、さらに平成が戦争のない時代として終わろうとしていることへの安堵の気持ちを吐露したときにも、声を詰まらせた。

 

そしてもうひとつ、沖縄への思いに触れたときにも、感情の揺れが見られた。会見が始まり、それまで淡々と用意した原稿を読み上げていた天皇陛下が、最初に声を震わせたのが沖縄についての言葉だったのだ。

「沖縄は先の大戦含め、実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后とともに11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」

特に最後の「犠牲に心を寄せていく」という言葉を発する声には、高ぶる感情を抑えている様子がひしひしと伝わってきた。

 

天皇陛下が沖縄に「心を寄せる」という言葉を使ったのは、これが初めてではない。

1975年、皇太子時代に初めて沖縄を訪問したとき、すでにこの表現を使っている。ひめゆりの塔を訪れたとき、火炎瓶を投げつけられる事件が起きたのだが、その夜、発表された天皇陛下の談話の中だ。

「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」

「心を寄せ続けていく」という言葉を実戦するかのように、天皇皇后両陛下は以来11回、沖縄を訪問している。その思いを疑う人はいないだろう。

 

「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく」

今回の会見でそう口にして、天皇陛下が言葉を詰まらせたとき、私は沖縄をめぐるもうひとつの言葉を思い出した。

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