コラム 穀雨南風⑥~「心を寄せる」と「寄り添う」の距離

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「対話にならなかった」 

 

会見の9日前となる12月14日、政府は辺野古の海に土砂を投入、埋め立て工事に着手した。翁長知事の突然の死、そのあとを継ぐかたちで玉城デニー氏が当選、さらに政府と沖縄県が1ヶ月にわたって集中協議を続けたばかりのタイミングだった。

 

玉城デニー知事が当選したあと、安倍総理が繰り返した言葉がある。

「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」

沖縄に寄り添うという趣旨の発言は、これが初めてではない。とはいえ、玉城デニー氏が辺野古移設ノーを掲げ、過去最高得票で当選したあと、つまり明確な民意がふたたび示されたあとなのだ。総理大臣が「寄り添う」という言葉を繰り返せば、それが沖縄に何らかの期待を抱かせてもおかしくない。そうでないならば、軽々にそうした言葉を使わないのが、礼儀というものだろう。

 

14日の夜、私は担当する番組で玉城知事と中継を結んで、土砂投入をどう受け止めたかを尋ねた。

「玉城さんが当選して1ヶ月ほどの間に、安倍総理は『沖縄の方々の気持ちに寄り添う』という言葉を、私たちが数えただけでも6回は口にしています。1ヶ月の集中協議はそれにふさわしいものでしたか?」

玉城知事は即座に否定し、対話にならなかったと語った。つまり沖縄の民意がどう示されようと、政府は「辺野古移設が唯一の解決策」とするこれまでの方針を繰り返するばかりだったというのだ。

 

そして集中審議のあと、さほど間を置くことなく土砂を投入する。来年2月に辺野古移設の是非を問う県民投票があることを考えると、その前に埋め立てを始めることで「あきらめ」の空気を醸成したいと政府が考えていることは容易に想像がつく。

 

一連の行動のどこから、「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」心を感じることができるだろう。

「心を寄せる」と「寄り添う」は似通った意味を持つ日本語のはずなのに、まるで別の世界の言語のようにすら感じられる。天皇陛下が自らの人生を総括するなかで触れた沖縄への思い。その語りは皮肉にも、国を率いるリーダーの言葉の軽さと、沖縄への情の欠如を鮮やかに照射している。

【本稿はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】

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