医者が半分、ユタも半分

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沖縄には古来、霊的能力を持つとされる「ユタ」と呼ばれる人たちがいる。その内実は宗教か、呪術か、それともメンタルケアなのか──。

 

「これまで20人ぐらいのユタにかかりましたが、私の感覚では当たる確率は3割か4割ではないでしょうか」

学校法人「尚学学園」(那覇市)の理事長室。名城政次郎理事長(86)は射抜くような視線でこう打ち明けた。

尚学学園の沖縄尚学高校といえば1999年に沖縄県勢初の選抜高校野球大会優勝を成し遂げた有名私立。沖縄有数の進学校でもある。1代で学園の名声を築いた辣腕理事長の経営判断にユタが影響してきたのか──。

「なるほど、来たな」

 

「ユタに振り回されていたら学校経営なんてできませんよ」

  名城理事長はあっさりと否定した。ユタの判示はあくまで事業活動や健康管理の「参考材料」にすぎない。そう強調しながらも、ポツリとこぼした。

 「魔物の世界があるんじゃないかと思わせられることがあるんですよ……そういえば、不思議なことがありました」

  理事長はソファから身を乗り出し、淡々と語り始めた。

英語塾や予備校を経営していた名城理事長は50歳の頃、激しい目の痛みに襲われた。眼科治療も芳しくなくユタに相談した夜、こんな夢を見たという。

修行僧が玄関に立ち、帳簿を積み重ねた。一冊は何も書かれていない。ユタはこの夢を「教育の帳簿が降りている」と解析。白紙の帳簿は沖縄の教育界を牽引する理事長自身がこれから書き込む一冊である、と説いた。

2年後。「沖縄高校を助けてください」という話が持ち込まれたとき、名城理事長は「なるほど、来たな。このことだったのか」と受け止めた。

沖縄高校は当時、別の学校法人が運営。生徒の定員割れが続き、校舎の老朽も著しかった。名城理事長はこう振り返る。

 「経営危機だった高校の運営を引き受けたときは、よほどの自信家と見られましたよ」

  周囲は反対したが、理事長の意志は揺るがなかった。83年に経営を一手に引き受け、沖縄尚学高校に校名を変更。自前の講師陣を教員に加え、校舎も建て直した。経営は好転し86年に附属中学校も開校。91年に学校法人尚学学園の設立認可を得た。

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