「ナイチャーは嘘をつく」
この一文を巡り、SNS上で論争が起きている。表面的・感情的な発言の応酬で、運動体まで不毛な分断に追い込まれている言論状況を見て、いても立ってもいられなくなった。昨日の記事で、運動の言葉遣いへの警鐘を鳴らしたばかりだが、再度この論争に応答し、冷静な言論を呼び掛けたい。
論争の原因は、アイデンティティとポジショナリティの混同である(それについては以前の拙稿でも触れたとおり)。「ナイチャーは嘘をつく」と主張する人は、「ナイチャー」という言葉をポジショナリティを示す表現として用い、ヤマト・日本が琉球・沖縄に行ってきた裏切り・欺瞞・差別・抑圧への批判を行っている。試しに沖縄戦から現在まで、ヤマトが沖縄に行った背信行為の例の一部を挙げてみよう。
- 沖縄戦中、日本軍は「沖縄守備軍」を名乗って沖縄に進駐した。しかし、沖縄戦は「本土防衛」のために沖縄を捨て石にする地上戦となり、日本軍側に沖縄住民を守る気はなかった。
- 沖縄戦中、陸軍中野学校出身の工作員が、山下虎雄の偽名で、教員として波照間島に派遣された。地上戦開始後、その本性を現した山下は、波照間島民をマラリア流行地である西表島南風見に強制的に疎開させ、「戦争マラリア」と呼ばれる悲劇を生んだ。
- 1947年9月、昭和天皇裕仁は宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてマッカーサーに所謂「天皇メッセージ」を秘密裏に送り、琉球諸島の米軍による占領継続を求めた。結果、沖縄は1972年まで米軍占領下におかれ、基地集中に伴う様々な人権蹂躙に曝された。
- 沖縄返還交渉時、日本政府は「核抜き、本土並み」を謳ったが、1969年11月、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領は、核兵器の沖縄への再持ち込みを約束する所謂「沖縄核密約」を交わしていた。沖縄は日本国憲法の「本土並み」適用を求めたが、実際「本土並み」に適用されたのは日米安保条約と自衛隊配備であり、基地集中は今日まで解決されていない。
- 「普天間代替施設」を標榜する辺野古新基地の建設計画は、今日まで計画変更を繰り返している。陸上自衛隊と米海兵隊は、2015年、辺野古新基地に陸自の離島防衛部隊「水陸機動団」を常駐させる極秘合意を交わしており、「普天間代替施設」の内実が「自衛隊も使える新基地」であったことは明らかである。
このような歴史的経緯を踏まえれば、「ナイチャーは嘘をつく」と言われて当然だろう。ここでの「ナイチャー」という言葉は、ヤマトで生まれ育った特定の個人を指すものではない。この一単語には、密約に密約を重ね続けてきた植民地侵略者としてのヤマトのポジショナリティに対する批判と、そのポジショナリティを負う「ナイチャー」一人一人が、現在も続く沖縄差別の解決に向けて行動すべきとの要求が凝縮されている。
一方、「ナイチャーは嘘をつく」発言に反発する人は、「ナイチャー」がアイデンティティを指すと解釈し、「ナイチャーを均一化・一般化するのはおかしい」「自分は沖縄に寄り添おうとしているので、沖縄を抑圧する政府などと一括りにして欲しくない」などと主張する。歴史的・構造的なポジショナリティに対する批判として用いられた言葉を、あたかも自分個人のアイデンティティに向けられた非難・糾弾だと誤解しているから、議論がかみ合わない。
冷静に「ナイチャー」という言葉が何を指すのか考えてから発言すれば、こんな不毛な論争は生じなかっただろう。しかし、SNS上のコミュニケーションでは、それが出来ない。あまりに手軽に発言できるので、軽率で無配慮な発言をしがちだし、文字数制限があるために、ポジショナリティの分析や歴史の振り返りを書き連ねるスペースがない。