「遺骨土砂問題」から見た日本国憲法―日本全体の戦時化を止めるために

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「沖縄の状態を見ないで、憲法の改正を語ると言うのは、これは言語道断だと私は思っています」

憲法記念日にあたり、髙良鉄美参議院議員が出したメッセージの一節である。

ゴールデンウィークは、「沖縄の状態」という視座で、日本国憲法の現状を見つめる好機となった。社民党さんが企画した「憲法を活かす」、Dialogue for Peopleさんと「遺骨で基地を作るな!緊急アクション!」呼び掛け人との共同企画「沖縄×福島クロストーク 命を重んじる社会へ」という2つの配信の準備をする中で、日本国憲法の価値と限界とを再検討する時間になったからだ。

「遺骨土砂問題」と対峙して、はや2ヶ月。沖縄県知事が土砂採取に中止命令を出すかどうか、最終判断を下すタイムリミットの5月14日が刻一刻と迫る中、私たちは未だ実行力のある現状打開策を見いだせていない。

国による沖縄分断政策により、一方的に追い込まれている沖縄の現状を可視化せねばならない。そう決意した金武美加代さんは、5月1日から沖縄県庁前でのハンガーストライキを断行中だ。一市民が命を削って声を上げても、「人として間違っている」ことが止められない。

立憲主義を標榜する社会の中で、なぜこんな状況が生じているのだろう?

憲法は、この不正義を正す道具になるのだろうか?

今の沖縄に向き合っていると、そんな疑問が湧き上がってくる。

現在国は、戦没者の遺骨が染み込んだ沖縄島南部で採取した土砂を用い、辺野古新基地建設を強行しようとしている。これはれっきとした憲法問題だ。日本弁護士連合会が2012年に出した「日本本土以外の戦闘地域・抑留地域における戦没者の遺体・遺骨の捜索・発見・収容等の扱いに関する意見書」には、「人の死後においては、その遺族が、自己の親族に対する敬愛の情という人類普遍の自然的心情に基づき、一種の人格権として、故人である、自己の親族たる死者の遺体・遺骨が、その尊厳に相応しい扱いを受けることを期待する権利を有するというべきである。また、遺族のそれは、故人を追悼敬慕する心情ないし行為につき一種の宗教的性質を有することから、宗教的人格権と位置付けることが可能であり、憲法13条1項及び20条により保障された基本的人権であるといえる」と書かれている。つまり、遺骨を基地の建材として扱い、遺骨収集と遺族による葬礼の完了を永遠に不可能にする土砂採取事業は、明らかに憲法違反だ。

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