沖縄現代史の節目をどう捉えるか

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25年、49年、そして76年

 沖縄には日本本土と異なる現代史の節目が多い。特に4月から6月にかけてで、今年は4月に1996年の普天間返還合意から25年、5月には沖縄返還から49年、そして今月6月23日は沖縄戦の終結(日本軍による組織的な抵抗の終結)から76年目を迎えた。

 それらの節目が本土と異なることは、沖縄の歩んだ労苦を思い起こさせる。2013年には第二次安倍政権の下で4月28日(1952年にサンフランシスコ対日講和条約が発効した日)が「主権回復の日」とされて記念式典が挙行され、天皇・皇后、そして三権の長が顔をそろえた。

ところが、この日は沖縄にとって日本本土からの分離が確定された「屈辱の日」とも呼ばれる。安倍政権首脳の間では、この日が沖縄にとって持つ意味が見落とされていたということであろうか。天皇(現上皇)は事前の説明に対して、「そのとき、沖縄では主権は回復されていません」と問うたともいう。

 来年は沖縄の本土復帰から50年の節目を迎えるが、それに先立ち、今年4月12日に25年目となったのが米軍・普天間基地の返還合意である。復帰後50年近くのうち、実に半分の25年がこの問題に費やされたことになる。25年の節目に際して多くのメディアでも特集が組まれ、この25年をさまざまな当事者の証言で辿った企画などは興味深いものであった(『朝日新聞』2021年5月2日から連載開始)。

 防衛庁長官としてこの問題に関わった石破茂氏が、代替施設として環境への負荷が少ないメガフロート案を当時の小泉純一郎首相に提起したところ、小泉氏から「それはだめだ。お前たちが知らないことがいっぱいあるんだ」と言われ、理由を聞くと「『それは言えない』ということでした」といった思わせぶりな発言もあるが、紙面で取り上げるのであれば、小泉氏の発言が何を意味しているのか、ぜひ追求して欲しいところである(『朝日新聞』2021年5月4日)。

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