復帰50年-沖縄と本土の「戦後・冷戦後・ポスト冷戦後」

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食い違う節目の日

今日、5月15日は沖縄の本土復帰(日本復帰)から50年という節目の日だ。日本本土と沖縄とでは、節目の日が食い違うことも多い。沖縄の慰霊の日は、8月15日の終戦の日に先立つ6月23日で、日本本土がサンフランシスコ講和条約の発効で主権を回復したことを祝う「主権回復の日」(4月28日)は、米軍統治下に留め置かれたこの日を「屈辱の日」とする沖縄の視座が抜け落ちていたこともあって、記念の日としては第二次安倍晋三政権下の一度きりで終わった。

 そのような沖縄と日本本土の間にあって、共有される重要な節目が、5月15日の復帰の日である。沖縄復帰の1972年は、本土でいえば終戦から30年近く経った「戦後」の真っ只中だといってよかろう。一方の沖縄では、この復帰から「戦後」が始まったのではないかと思う。

1970年代で終わった「戦後」

私事となるが、4年ほど前に『日本史の論点』(中公新書、2018年)という本の執筆に携わった。古代から中世、近世など日本史をいくつかの時代に分けて、それぞれ5つの論点を解き明かすという企画である。私の担当は「現代(=戦後)」で、この時代の最初の論点は「いつまでが『戦後』なのか」というものだった。

 1956年には『経済白書』が「もはや戦後ではない」と、戦災復興から次の段階に来ていることに注意を促し、1965年には戦後の首相としてはじめて沖縄を訪れた佐藤栄作氏が、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しております」と、返還実現への決意を表明した。

 さまざまな「戦後の終わり」がある中で、私が説得的に感じるのは、1970年代に実質的な意味で戦後の終わりがあったという議論だ。1970年代に起きた二つの石油危機によって、安い石油を糧にした先進国の高度成長は終わりを告げ、公害など経済成長の負の側面も顕在化する。それは近代からポスト産業社会へという大きな移行であり、経済成長や近代化を無条件に肯定する時代精神の終焉を意味した。そしてこの節目は、軍事優先の米軍統治下にあった沖縄には縁遠いものだった。

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