復帰50年-沖縄と本土の「戦後・冷戦後・ポスト冷戦後」

この記事の執筆者

そして「ポスト冷戦後」

米ソ冷戦の終結から30年あまり。国際情勢をみると「冷戦後」という時代そのものが終わりつつあるように見える。冷戦終結後、湾岸戦争で勝利をおさめたブッシュ(父)大統領は、「新世界秩序」を宣言して米主導の国際秩序の推進を掲げたが、イラクやアフガニスタンへの介入で疲弊したアメリカでは、「アメリカ第一」を唱えるトランプ氏が今も根強い支持を集める。

 ロシアのウクライナ侵攻を中国の台湾侵攻の可能性と結びつける議論も散見されるが、逆に現在のロシアの苦境を見て、中国指導部は台湾侵攻が自国にとっていかに大きなリスクかを痛感しているというのも、当然の指摘だろう。アメリカ、ロシア、中国といった(超)大国の力をもってしても、アフガニスタン、ウクライナ、そして台湾といった諸地域を平定することは困難だというのが、この間の教訓だと見ることもできる。

「有事」「有事」と言うけれど…

アメリカの力の衰えや中国台頭、ウクライナ情勢などを前に、日本国内では「有事」が語られることが多くなった。日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは確かであり、それに対応した節度ある防衛力の整備も必要だろう(「節度ある」とは、政治主導の目立つことを目的としたものではなく、財政面も考慮された整備という意味で)。

 その一方で、有力な政治指導者が「台湾有事は日本有事」など、「有事」という言葉を簡単に口にする風潮には強い違和感を覚える。抑止力も近年の流行語だが、そもそも有事になるということは、抑止力が機能しなかったということでもある。

有事とならないように相手国との意思疎通につとめ、衝突の可能性回避に全力を尽くすことが政治指導者にとって最重要の責務のはずだが、勇ましい言葉が横行するのとは裏腹に、そちらの方面での努力は希薄である。

 台湾、尖閣などを考えれば、日本が関わる有事では、沖縄が舞台となる可能性は否めない。東京で有力な政治指導者が簡単に「有事」を口にするのは、万が一、それが現実のものとなったとしても、東京がその現場、最前線となることはないと思っているからか、と疑ってしまう。

 沖縄が万が一、軍事衝突の舞台になったとして、その様相を見て、やはり戦争はマズイ、和平の努力をしなければと時の政治指導者が悟る。そのような図式が70数年を経て再現されることを、沖縄が拒むのは当然だろう。

 米ソ冷戦が終わった後も、なぜ日米安保は必要なのか。この疑問に答えるために打ち出されたのが日米安保再定義(1996年)で、そこでは日米安保は21世紀のアジア太平洋における「安定と繁栄の基盤」とされた。有事の発生は、今や世界的な経済成長センターとなったアジア太平洋の「安定と繁栄の基盤」を根底から突き崩す。

 戦後、冷戦後と、沖縄と日本本土は時にすれ違いつつも、歩みを進めてきた。ポスト冷戦後がどのような時代になるかは、今を生きるわれわれ次第だともいえるが、軍事衝突と有事は、その時代の性格を根底から瞬時に塗り替えてしまう破壊力を持っている。復帰50年の節目に際して、そのことを肝に銘じておきたい。

復帰50年の節目を迎えた那覇の町。インフラ整備は進んだ一方で、
残る課題も多い

この記事の執筆者