ペリーは何を語ったのか~「元米国防長官・沖縄への旅」を読み解く【その2】

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一方で注意が必要なのは、危機のレベルを判断する際、そこに政治的思惑が介在するという面である。すなわち、危機対応をテコに政界再編を志向する側は危機の切迫度を強調し、そうでない側は穏当な解決の可能性を重視する。

実際のところ、第一次北朝鮮核危機に際してペリーは、米政府としてはあくまで外交交渉が第一であり、軍事的対応は北朝鮮に圧力を加えることによって交渉を成功に導くことが目的であったと強調している。軍事的手段をとれば、北朝鮮側の反撃によって韓国や日本に甚大な被害が生じることが予想された。

 

有事対応か、有事の政治利用か

 

この危機の最中に国防長官として訪日した際も、ペリーは基地使用について羽田の見解を問うた一方で、「我々は戦争に突入することになるとは思わないが、その準備はしなければならない」(『朝日新聞』20171130日)と述べ、当時の状況について、「我々は第二次朝鮮戦争を引き起こす瀬戸際まで行きました。その可能性は低いもののゼロではありませんでした」(ETV特集『ペリーの告白』)と回顧する。

「第二次朝鮮戦争の瀬戸際」だったのか、あるいは「可能性は低いもののゼロではない」という状況だったのか。ペリーの発言のどの部分を切り取るかによって、危機が切迫したものであったとも読めるし、軍事的な手段はあくまで「もしも」の場合の予備的措置であったと解釈することもできよう。そこに政治的解釈の余地が生まれる。

先日(201710月)の総選挙の際に安倍晋三首相は、北朝鮮危機が「国難」であることを理由に挙げて解散に踏み切った。果たしてその種の行動は、政権によるしかるべき有事対応なのか、それとも有事の政治利用なのか。冷戦後の日本政治に通底する問題の一つだといえよう。

ペリーの目には煮え切らないと見えた羽田の言動の背後には、冷戦後の国際環境の変化を受けて揺れ動き、模索する日本政治の懊悩があったのである。

【敬称略】(以下、次回につづく)

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