米軍事件・事故への世代間意識差
それでは、その後も北朝鮮の核実験や中国船の尖閣沖侵入が繰り返される中、17年に再び「必要でない+危険」が「必要+やむをえない」を上回った理由はなんだろうか。真っ先に思い浮かぶのが16年に起きた、うるま市在住の若い女性が米軍属にレイプ目的で殺害された事件や、名護市沖合でMV-22輸送機「オスプレイ」が墜落した事故だろう。
ただし、17年の調査結果には見過ごせない世代間の意識の差が存在する。ここで、在沖米軍基地は「必要+やむをえない」と回答した者を、復帰前に生まれた者と復帰後に生まれた者に分けて見てみよう。すると、復帰後世代の間では、2000年代に入ってから「必要+やむをえない」の割合が一貫して増え続けていることが分かる。他方で、復帰前世代の間では、02年から12年にかけては復帰後世代と同様に「必要+やむをえない」の割合が伸びたが、17年には5年前と比べて12%減少した。つまり、17年に「必要でない+危険」の割合を押し上げたのは復帰前世代であり、復帰後世代は米軍関係の事件・事故にかかわらず在沖米軍基地の許容傾向を年々強めているのだ。
世代を超える県民の辺野古移設反対
にもかかわらず、17年のNHK調査では、沖縄県民の多数が世代を超えて米軍基地に関する同じ見解を示した質問項目もあった。一つが、海兵隊普天間飛行場の辺野古移設である。復帰前世代の69%、復帰後世代の58%が辺野古移設に「反対」「どちらかといえば反対」と回答したのだ。もう一つが、米軍基地についての他県と比べた沖縄の扱いで、「差別的」「どちらかといえば差別的」と答えたのは復帰前世代の78%、復帰後世代でも64%にのぼった。
さて、ここから何がいえるだろうか。
第一に、安倍晋三首相のいう「日本を取り巻く厳しい国際環境」の中で、沖縄県民の安全保障意識は「本土化」し、日米安保を重視するようになりつつある。「憲法9条への復帰」や「(冷戦終結に伴う)平和の配当」を求め、在沖米軍基地の全面撤去を掲げて90年に知事となった大田昌秀の2017年の逝去は、いかなる戦争にも反対する絶対的平和主義の時代の終焉を象徴しているかのようだ。
第二に、政府と沖縄県を対峙させているのは、米軍基地の存在ではなく辺野古移設の問題だ。政府の辺野古移設方針やその実現に向けた沖縄への対応が、世代を超えた沖縄県民の多数を反政府側に追いやり、皮肉にも翁長県政を支えているのだ。