「無用の長物」
南西諸島の海兵隊は今や、中国のミサイルの脅威にさらされ標的となる危険性を回避するため「分散と巡回」を基本戦略としている。「有事」となれば直ちにグアムやハワイや米本土に退避し、そこから「後方支援」に乗り出すということである。つまり、固定化した広大な基地は脆弱そのものであり使い物にならないのである。とすれば、おそらくは12年以上の歳月と数兆円もの資金を投じて辺野古に建設されようとしている新たな基地は、文字通りの「無用の長物」であって、直ちに中止すべきである。
地域外交の「指標」
それでは、世界一危険とされる普天間基地の危険性除去の課題に、いかに対処すべきであろうか。今日直面しているのは何よりも普天間が海兵隊の拠点として攻撃される危険性であり、あらゆる手段を駆使して戦争回避に努めねばならない。かつて安倍晋三首相(当時)は2018年に北京を訪問し習近平主席との間で「東シナ海を平和の海に」との決意を確認、防衛当局間の相互交流の拡大や先端技術をめぐる協力枠組の設置、ガス田開発での協議の再開などで合意に達した。さらに安倍氏は、同主席の国賓としての訪日を招請した。コロナ禍がなければ2020年には習近平の来日が実現していたであろう。皮肉にも、「有事」を煽りたてた安倍氏の対中外交はある意味、「アジア・太平洋地域での平和構築」をめざす地域外交の展開に本格的に乗りだした沖縄県にとっても重要な「指標」となるであろう。
「人間存在の無視」
普天間基地が抱える差し迫った脅威は、米軍機による昼夜を問わない低空飛行や耐えがたい爆音によって住民の生活基盤が破壊されようとしていることであり、先鋭化する米軍の活動によって脅威は全域に広がりつつある。今や辺野古が「唯一の解決策」どころか、むしろ危険性を長引かせる「愚策」であることは明白である。それでは、こうした重大な危険性に対処するため当面なし得ることは何であろうか。それは、米軍に航空法をはじめとした日本国内法を守らせることである。
仮に国内法による“縛り”をかけることができるならば、直面する危険性は相当程度緩和されるであろう。しかし本土政府は日米地位協定を楯に、この要求を拒否してきた。その理由は、人権侵害が生ずるとしても米軍の活動に支障をきたさず安全保障を確保することが最優先、というものである。しかしこの論理は、人権を蹂躙する強権国家のそれと何ら変わるところがない。
「自由と民主主義と人権」の追求を外交の基本に据えながら、なぜ本土政府は沖縄における斯くも酷い人権侵害、非人道的な状況を長年にわたって放置してきたのであろうか。なぜ「危険性の除去」のため直ちに国内法の適用に乗り出すこともなく、沖縄の人々を米軍による「植民地状態」のもとに放置してきたのであろうか。その「答え」は、今回の「無人機戦争」の計画に求めることができる。つまりは、南西諸島における「人間存在の無視」に他ならない。