ペリーは何を語ったのか~「元米国防長官・沖縄への旅」を読み解く【その6】

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民主主義による統制という問題

 

それは本稿で取り上げた「朝鮮議事録」についても同様なのであり、ペリーの回顧は、このような見方、すなわち密約の有無にかかわらず、実際の局面においてはその際の同盟相手国との意思疎通が決定的に重要なのだということを、裏付けているのである。

このように密約をめぐっては、その実効性に疑問符がつくことも少なくないのに対し、密約全般が引き起こす負の側面は、国民からみた不信感を引き起こすことであろう。特に米軍基地が集中する沖縄からすれば、自らの頭上でこのような密約が幾重にも結ばれていたことは、日米安保体制に対する不信の念を抱かせる要因となることは想像に難くない。

琉球大学教授や保守系の西銘順治県政で副知事を務めた比嘉幹郎は、次のように言う。「核兵器の持ち込みや米軍費用の代理弁済などの密約を知るようになると、やはり(1965年の)佐藤(沖縄)訪問も沖縄に対する『差別や犠牲の強要』政策の一環だったのではないかと考えるようになりました」「長期にわたり米軍統治下に放置されてきた沖縄県民の認識や感情、価値観についての理解が欠如していたとしか思えません」(服部龍二『佐藤栄作』朝日新聞出版、2017年、311312頁)。

このような負の側面を持つ密約だが、それはさらに広くいえば、外交・安全保障政策に対する民主主義による統制という問題に関わる。そうして見ると、第一次北朝鮮核危機をめぐっては、この民主主義による外交・安全保障政策の統制という点で、見逃せない件がある。それは第一次北朝鮮核危機の際、水面下で行われていた外務省と野党・自民党との接触である。次回は、一般には見過ごされているこの問題について、触れておきたい。

 (以下、次回につづく)

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