ペリーは何を語ったのか~「元米国防長官・沖縄への旅」を読み解く【その6】

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朝鮮半島有事をめぐる日米間の「密約」は、沖縄返還交渉の際に失効したとされるが、その一方で、1990年代後半まで存続していたという指摘もある。第一次北朝鮮核危機をめぐるペリーの発言はこの論点に関わるものであり、また、密約の「代償」を浮かび上がらせることになる。

 

沖縄返還と「韓国条項」、そして密約の解消

 

朝鮮半島有事を事前協議の例外とする密約(「朝鮮議事録」)は、前回触れたように日本政府・外交当局にとって不本意なものであった。1960年代後半から本格化する沖縄返還交渉に際して日本側は、この密約を解消しようと試みる。

沖縄返還交渉に際して焦点のひとつとなったのは、日本復帰後の沖縄に事前協議制度が適用された場合、米軍の即応性が制約されるのではないかという米側の懸念であった。特に念頭におかれたのが朝鮮半島有事であり、米側は「朝鮮議事録」の再確認を求めた。

これに対して日本側は、佐藤栄作首相が、実際に事前協議が行われる際には肯定的に対応すると対外的に表明することによって、「朝鮮議事録」を置き換えることを試みた。

日米間の度重なる交渉の結果、沖縄返還が決まった1969年の佐藤=ニクソン共同声明には、以下のような佐藤栄作首相の見解が盛り込まれることになった。すなわち、「韓国の安全は日本の安全にとって緊要である」「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとってきわめて重要な要素である」。それぞれ、「韓国条項」「台湾条項」と呼ばれることになる文言である。

さらに佐藤はつづいて、ワシントンのナショナル・プレス・クラブにおける演説で、「万一韓国に対し武力攻撃が発生し、これに対処するため、米軍が日本国内の施設、区域を戦闘作戦行動の発進基地として使用しなければならないような事態が生じた場合には、日本政府としては・・・事前協議に対し前向きに、かつすみやかに態度を決定する方針であります」と述べた。

要するに、沖縄返還後の基地使用、特に朝鮮半島有事の際の即応性にこだわる米側に対して、佐藤は、事前協議は存在するけれども、朝鮮半島有事に際して日本が「No」という可能性は事実上ないことを、幾重にも「オモテ」の共同声明や演説によって示そうとしたのである。

民主党・鳩山由紀夫政権下、岡田克也外相の指示によって設置された密約解明のための有識者委員会は、「日本の首相が先のような(本稿では上述のような)態度を表明した後に、米側が「朝鮮議事録」を援用して事前協議なしの基地使用を図ることは事実上考えられない。したがって、同議事録は、事実上失効したと見てよかろう」と結論づけている(「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会報告書」、20103月、55頁)。

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