日米行政協定改定に消極的だった岸信介
安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相が手がけた安保改定は、旧日米安保条約および日米行政協定の不平等な点をあらため、日米の対等な同盟関係を実現したといわれる。
日本への核持ち込みなどに関する事前協議制度が新設されたが、形だけで機能しなかった、という重大な問題はあれど、防衛分担金の負担や内乱時の米軍出動などを定めた不平等な条項が削除され、経済協力条項や条約期限が入ったことなどが評価されてきた。
だが、岸首相は実のところ、安保改定に向けて米側と交渉を始めた当初、交渉の長期化を恐れて、地位協定の前身である行政協定の抜本的改定に手をつける気がなかった。方針を転換したのは、自民党内の反岸派が行政協定の全面改定を強硬に主張したためである。
日本との交渉を担当する駐日大使館や米国務省は、行政協定の全面改定に理解を示したが、行政協定の維持を安保改定の条件としていた米軍部が激しく抵抗した。そこで米政府は、米軍の「死活的利益」に触れないように行政協定の全面改定を行う、という折衷案をとる。
日米行政協定と実質的に同じ日米地位協定
米軍の「死活的利益」の両柱が、在日米軍基地の運用について定めた行政協定第3条と、刑事裁判権について規定した第17条だった。
日本側は、第17条については、すでにNATO並みの権利を有しているとして改定を要求しなかった。他方、基地内外で米軍が自由に行動できることを定めた第3条については、米軍による日本占領の名残が強すぎると考えて改定を強く主張した。
両国の交渉は最後までもつれた結果、行政協定に替わる地位協定の第3条では、在日米軍が基地周辺での便宜を必要とする際、必ず日本側と協議する旨が明文化された。しかし、同時に、第3条に関する「日米地位協定合意議事録」が作成され、実際には、地位協定第3条は行政協定第3条の内容を引き継ぐことで合意されたのである。
外務省は1973年、「日米地位協定の考え方」と題する非公開文書をとりまとめた。その中で第3条について、「『管理権』の実体的内容については新旧協約上差異はない」と、明快に言い切っている。
(安保改定交渉の詳細については、山本章子『米国と日米安保条約改定』吉田書店、2017年。)
条文ではなく運用の問題
つまり、実現可能性の問題をぬきにして言うなら、「日米地位協定合意議事録」を破棄して、地位協定第3条の本来の規定を守れば、米軍機が自由に基地外の民間地で離発着を行うことはできなくなる。
条文そのものではなく、合意議事録の形で条文に反した運用を取り決めていることに問題があるのだ。
逆にいえば、もしも現在の日米地位協定が沖縄県の望む形で改定されることになったとしても、日米両政府が別途、米軍に有利な運用を定めた合意を取り交わせば無意味である。地位協定の改定を論じるのであれば、こうした点を見落としてはならない。