「損得勘定」という観点から普天間基地返還合意と、その後の展開を改めて考察してみると、日本政府、沖縄と比べてみて、アメリカ、とりわけ結果として米軍が占めることになった有利な位置が際立つ。なにしろ少女暴行事件という一大不祥事が、機能を更新した新基地建設へと転じたのである。とはいえ、最初からそのようなシナリオが描かれていたと見るのも、行き過ぎであろう。果たしてそこには、どのような力が作用したのだろうか。
「近代化のために移転する」
連載の前回末尾で触れたように、橋本龍太郎政権時代に政府と沖縄のパイプ役として活動した元国土庁長官の下河辺淳は、1995年秋の少女暴行事件と翌年4月に電撃的に発表された普天間返還合意について、「(普天間基地の)近代化のために移転することで、住民との関係で普天間を返してもらう運動に合意したなんていうことは一切ない」とあけすけに語る(「下河辺淳オーラルヒストリー」263頁。琉球大学学術リポジトリ)。
確かに普天間返還合意以後、昨今に至る20年あまりを改めて俯瞰してみると、そもそも少女暴行事件によって噴出した沖縄の異議申し立てに対する応答であったはずの返還合意が、いつしか沖縄県との全面対立を押し切る大規模な新基地建設の強行に転じてしまったという不可解な「ねじれ」が浮かび上がる。
そして「損得勘定」という観点から96年の返還合意とその後の展開を考察したとき、圧倒的に「得」をする立場を確保したのはアメリカ、中でも米海兵隊だといえよう。なにしろ少女暴行事件という一大不祥事が、市街地に囲まれ、古くて危険な普天間基地を、機能を強化した新基地へ更新する計画へと、いつの間にか衣替えしたのである。言葉はよくないが、これ以上ない「焼け太り」である。