米軍機の飛行ルートをめぐり、沖縄防衛局は2018年1月以降、普天間第二小学校に監視員を常駐させる異例の対応を続けている。日本政府はなぜ、小学校上空の米軍機の飛行禁止の確約を得られないのか。
「最大限可能な限り」という合意
「ゴゴゴゴゴゴー」「ゴォーツ」「ガガガッ」
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する普天間第二小学校は、在校生の文集「そてつ」を1973年度から毎年発刊してきた。冒頭の表現は、この文集の中で児童たちがつづった米軍機の轟音だ。
同校上空を通過する米軍機について、卒業生たちはよくこんなエピソードを語る。
「米軍機の中にいる軍人の顔も見えた」「ヘリの操縦士から手を振られたら、振り返すみたいなこともあった」
これらは決して誇張ではない。そのことを、筆者は7年前、取材のため同校に数週間通わせてもらって痛感した。「近すぎる」。この一言に尽きるのだ。
文集のタイトルには逆境を乗り越え、岩をも貫いて生きる蘇鉄のようにたくましく育ってもらいたい、との願いが込められている。当時は、そんな学校関係者の思いに打たれた。だが、同校の現状は「教育」で対応できる領域を超えてしまっているのではないか。そんな危惧が募る。
昨年12月、上空を飛ぶ米軍ヘリの窓(重さ約8㌔)が同校の運動場に落下した。体育の授業中で児童一人が軽傷。「その後」については、本土メディアではほとんど報じられていないが、子どもたちの教育環境の悪化は深刻の度を増している。
「逃げてください、逃げてください」
沖縄防衛局は地元関係者の不安を緩和するため1月11日以降、委託業務員5人を同校の屋上や運動場に配置。同校上空に向け普天間飛行場を離着陸する米軍機を監視し、屋外にいる児童にハンドマイクで避難を呼び掛けている。
事故後に見合わせていた運動場の使用を再開した2月13日から6月8日までで計527回。1日に23回、避難を呼びかけた日もあった。
米軍機の飛行ルートは同校の敷地付近をかすめるように飛来するケースが多く、「真上」を通過したのかは目視のみで判別するのは難しいこともある。このため防衛局は1月7日以降、同校に4台の監視カメラを設置し、米軍機の飛行状況を記録している。
米軍は窓落下事故を受け、「最大限可能な限り普天間第二小上空を飛ばない」と防衛省と合意した。しかし、防衛局によると、1月18日に3機、2月23日に1機の上空飛来が目視とカメラで確認されている。
「最大限可能な限り」の例外がこれでは、あまりに頻度が高すぎる。