「対岸の火事」の本土
そっとしておいてほしい―。宜野湾市内の学校関係者の中には、メディアの取材を拒む人も出ている。報道されても一向に状況が改善されないばかりか、政府や米軍の対応を批判する声がメディアで報じられると、それが呼び水となって地元の被害者に対する誹謗中傷を誘発する面もあるからだ。
「戦後70年余にわたる米軍基地の過重負担によって沖縄県民がどれほど苦しい思いをしてきたか、本土の人の理解があまりに足りない。ヘイトやフェイクで沖縄の声が封じられるのは納得できません」
こう憤慨するのは2014年まで約30年間にわたって在沖米国総領事館に勤務した平安山英雄さん(69)だ。
平安山さんは沖縄本島北部の本部町出身。琉球大学卒業後、米国留学などを経て、1985年に米国務省職員として在沖米国総領事館に採用された。以来、政治・軍事担当補佐官などを務め、沖縄で相次ぐ米軍関係者の事件・事故の対応に当たってきた。総領事の傍らでメモを取り、通訳を務める平安山さんは、米政府関係者の一員として県民の抗議の矢面に立つ場面も多かった。
「県民からの厳しいお叱りを頻繁に受けて、気が滅入ることもありました」
平安山さんが「特に辛かった」と振り返るのは95年の少女暴行事件だ。3人の米海兵隊員らが小学生の少女を暴行した事件は沖縄県民の激しい反発を招き、日米政府が普天間飛行場の返還合意に至るきっかけにもなった。約3カ月間続いた抗議の申し入れの中には、戦後、米軍関係者による性犯罪の被害にさらされてきた沖縄女性の痛苦を切々と訴える女性団体やPTA関係者もいた。胸が引き裂かれる思いで耳を傾け、涙を浮かべながら通訳した、と述懐する平安山さんはこう語る。
「米軍関係者による事件事故は1件もあってはならないというのが、当時も今も沖縄県民としての私の考えです」
沖縄の基地被害を「対岸の火事」としか受け止められない本土の世論感情は今後、一層顕著になる。そう見通す平安山さんは、沖縄に過度な負担を押しつける安保政策は持続可能ではない、と唱える。
「全国でフェアに分担する基地政策を政府の責任で進めるべきです。『地理的に沖縄でなければいけない』という説明は、沖縄ではもはや、基地の負担を背負いたくない本土側の言い訳としか受け取られていません」