射程の長さ
私は、沖縄国際大学の学生たち10人ほどにグループインタビューしたときのことを思い出していた。おととし4月にうるま市で起きた暴行殺人事件のあとだったため、事件に関しては悲しみや怒りの声が学生たちから聞かれた。しかし生まれたときからずっと基地があるので、それが当たり前になっていると彼らは口をそろえ、基地にはかなり肯定的だった。基地がなくなったほうがいいか、それとも共存していくべきか。最後にそう問いかけると、ほとんどの学生が「共存すべきだ」と答えたのが印象的だった。
戦中あるいは戦後まもなくの沖縄を知る世代からすれば、戦争の悲惨さ、自分たちの土地に強制的に基地が作られた現実を目の当たりにしている。その後、本土に復帰した日々を知る人々は、それまでの米軍政府の圧政の歴史を身体で経験している。ところが今の若い世代は基地のある日常で育ち、前の世代と比べると過酷な経験をしているとは言えない。これから沖縄の何かが大きく変わっていく予感を、学生たちの話を聞きながら抱いたのを覚えている。
それに対して県民投票の実現を目指している若者は、外から沖縄を見たことで置かれている異常性に気づき、何か行動を起こさなければ、と考えたのだ。
しかしなぜ、県民投票なのか。
理由はいくつかある。4年前に翁長知事が10万票の差をつけて当選しようが、その後国政選挙でことごとく新基地建設反対の候補が当選しようが、日本政府には届かなかった。それならば、辺野古の一点に絞って県民投票をして民意を問おう、という思いが彼らの胸にはある。さらにウチナーンチュのことはウチナーンチュで決めるべきだという考えも、彼らの言葉から感じられた。
それに加えて、代表の元山さんには別の思いがある。
「やっぱり若い世代、若い人が基地問題、とくに辺野古の米軍基地建設に向き合って、どうするかっていうところを、きちんと話し合って、考えて、決めるというのが最大の目的だなと考えています」
基地問題に感心が薄いと言われる若い世代が考えるきっかけにしたいという思いだ。若さ故になのだろう、彼らの見ている「射程の長さ」は、明らかに前の世代とは違う。