切迫感の違い?
沖縄戦の4年前の1941年に生まれた仲宗根勇さんは、キャンプシュワブのゲート前で座り込みを続けている。元裁判官の仲宗根さんは、県民投票に反対の立場だ。辺野古への土砂投入が8月17日と迫っているのに、県民投票なんかしている場合ではないと、苛立ったような口調で言った。
「現状認識が違うわけです。この現状を見ている人は、そんな呑気なことを言えるわけがないんです」
「県民投票をするなんて、呑気な?」
「呑気です」
呑気という言葉を頭のなかで反芻しながらも、こう尋ねてみた。
「でも、県民投票に賛成の人はこう言うかもしれない。働き盛りの人たちは仕事があったり、子育てがあったりで、ここに来て抗議しようにもなかなかそうはいかない。そんな人たちが別の形で思いを示す、多様な意思表示のひとつになると」
仲宗根さんは、すぐに答えた。
「それは民主主義のひとつの表現としては理解できますが、辺野古を阻止するためにそれは何の役にも立たないわけです。単に民主主義教育をやるというだけの効果しかないんで」
自分たちとは、切迫感が違うんだと仲宗根さんは付け加え、必要なのは翁長知事が辺野古埋め立て工事の承認をすぐに撤回することだと強調した。身体を張ってダンプカーの通行を阻止しようとする人たちからすると、県民投票を目指す若者たちの活動や考え方は「ゆるい」と映るのだろう。
確かに県民投票は実現したとしても、早くて秋以降とされている。8月17日の土砂投入にはもちろん間に合うはずもない。
代表の元山さんは言う。
「私個人としては辺野古の基地建設を止めたいと思っているのですけど、しっかり議論して考えて、若い人はじめ沖縄県民が仮に賛成を選ぶのであれば、それは受け入れるしかないというふうに思っていますので、何よりプロセスが大事だと思っています」
「反対票を集めてノーを突きつけようというよりは、イエスだったらそれはそれで受け入れると?」
「受け入れるしかないと思うんです」
そう言って、元山さんは続けた。
「でもそれで終わりというわけではありません。その後も個人個人で座り込みをする人もいるでしょうし、それぞれの選挙とかで意思表示をする人もいるでしょうし、これが最後ではないですし、これで私たちも死ぬわけではないので、またそこから沖縄の平和だとか、あるいは先祖からの思いを受け継いでいくというのも作っていければいいなと思います」
辺野古の基地の行方がどうなろうとも、自分たちはその後もこの沖縄で生きていかなければならない。それは彼らの決意表明のようにも感じられた。