沖縄では、辺野古新基地建設の強行に対し、怒りが限界に達している。民主主義が適用されず、アンフェアなやり方がまかりとおり、人権が踏みにじられ、社会や人間への失望が人々を磨耗させている。沖縄の人たちの人権が奪われてきた歴史を踏まえて、今更、日本国憲法に期待することなど無駄だという意見や、司法、そして日本人に期待しても無駄だという声も聞く。
しかし、「国土の0.6%しかない沖縄に70%以上の米軍専用施設が集中している」という怒りは、何も「面積」の平等を求めている訳ではない。その理性的基礎は憲法が保障する「自由」の平等だ。だからこそ、沖縄が置かれてきた差別構造を把握し、自由や平等という普遍的な人権の問題として、内外に強く求めて訴えていくことこそが必要ではないか。古関彰一・豊下楢彦著「沖縄 憲法なき戦後 講和条約3条と日本の安全保障」はそれを改めて確信させたなかの一冊である。
「妥協の産物」としての講話条約3条
本書は、憲政史と外交史、それぞれの分野を刷新してきた業績を持つ二人の研究者がタッグを組み、「沖縄の憲法なき戦後」の実態を明らかにし、現在まで沖縄に強いられている歪みの構造の根源をあばく力作である。
まず著者たちは、憲法なき戦後の始原として、「日米合作」による沖縄県民の国籍と選挙権の剥奪に注目する。1946年1月にGHQは沖縄分離指令を発するが、前年の12月に国会は 選挙法改正にあたり、GHQの方針を「先取り」して沖縄の選挙権を剥奪した。その後、米軍当局により琉球戸籍が作られ、日本政府も追認し、事実上の「無国籍」状態を作った。
さらに、第2のターニングポイントとなったのが、サンフランシスコ講和条約、ことにその3条にあるという。そして、潜在主権というかたちで日本に主権が残された背景として、ダレスや国務省の努力とともに、日本政府、なかでも「吉田首相の役割」を強調し、さらには昭和天皇による「沖縄メッセージ」の重要性を指摘するエルドリッヂらの見解に対し、著者らは、当時の国際情勢からして信託統治も併合も不可能であった故に、「妥協の産物」として3条を策定したのだと喝破する。その思惑は、米国にとっては日米安保条約をはじめ一切の制約を受けることなく沖縄を軍事目的のために利用できることであり、日本にとっても、昭和天皇にとっても「潜在的であれなんであれ、『主権』によって日本が沖縄と繋がっていれば、沖縄の米軍が日本防衛とかかわりをもつことになる」という、「本土」の安全を確保するためであった。沖縄とは、あくまで本土のために常に犠牲になることが運命付けられた「捨石」そのものなのだからだと。