土砂投入という「政治ショー」

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「安倍後」の重荷になる辺野古

 

これまで安倍政権は、翁長雄志前知事の足元を切り崩し、先日の知事選で自公の推す候補を当選させて辺野古移設を政治的に決着させるというシナリオを描いてきた。ところが、翁長氏の急逝と玉城氏の大勝という想定外の事態となった。

4年後の知事選で県政奪回を果たし、辺野古移設を政治的にも可能にしたいというのが、現政権の考えていることかもしれない。しかし、ここでも逆に玉城氏の施政がつづくことになれば、辺野古移設工事の続行は厳しいものになりかねない。加えて、前述の工事自体の難題も重なってくる。

そもそも4年後にはもはや安倍政権ではない。現政権の残り時間は長く見積もってもあと3年、それより短くなる可能性も少なくない。安倍政権の主要政策は、出口のない金融緩和や財政を無視した防衛費の膨張など、長期的に持続しえないものばかりである。「安倍後」の政治は、その負の遺産の軽減に呻吟することになるだろう。つまり、「安倍後」の政治は「安倍政治の継承」とはなるまい。

中でも、政治的にも技術的にも行き詰まる可能性が高く、また財政面でも膨大な支出を余儀なくされ、さらには「普天間返還」というそもそもの目的に資するかも不透明な辺野古新基地計画は、負の遺産の筆頭であろう。ただでさえ難しい計画は、現政権のやみくもな強硬策によって、政治的にもきわめて「筋の悪い」ものとなってしまった。

それを「安倍後」の諸政権が10年、20年と、どの程度、引き継ぐだろうか。政権交代が起きればなおさらである。いずれにせよ、現在のような強引な法解釈や行政指導の無視といった異常な対応を、「安倍後」の諸政権が一糸乱れず引き継ぐとは想像し難いのである。

 

安倍政権の「政治ショー」

 

支持率維持を念頭に、「動いている感じ」を演出すべく、次々にメディアやその先にある世論が食い付きそうなボールを放るのが、現政権の一つのパターンである。昨今では北方領土問題がその筆頭であろう。だがそれは、今国会で憲法改正に向けた動きが行き詰まり、当初、政権側が思い描いていた改憲シナリオに目処が立たなくなったことから人々の目先を変えさせるため、というようにも見えてしまう。

そもそも歯舞、色丹を日米安保条約の適応外にするか否か、両島の施政権と主権は改めて議論だといった論点を聞いていると、今回の交渉は政権が喧伝する「二島プラスα」とは到底言えず、「二島マイナスα」としか思えないのだが。

そこで本稿の冒頭に戻って、今回の土砂投入のシーンである。船数隻分の土砂投入をもって、「この問題はもはや決着済み」と印象付けたい政権側と、これから実際に基地が完成し、それに伴って本来の目的である普天間基地の返還が実現するという終着点までに横たわる難関との間に、いかに大きなギャップがあるかは明らかであろう。

メディアの特性を利用した政権側による「政治ショー」へのお付き合いもほどほどにしないと、物事の全体像がよく見えなくなるように思うのである。

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