継続していることを伝え続ける
各地方の新聞社説でも、「沖縄の声無視する暴挙」(北海道)「民意も法理もなき暴走」(東京)「沖縄の民意を葬る光景だ」(福井)「民意顧みない無理押し」(信濃毎日)「民意背く強行許されぬ」(京都)「民意踏みにじる実力行為」(神戸)「民意を無視した暴挙」(愛媛)「民意聞かない政治の劣化」(西日本)など、民意を見出しに取った社説が目立った。
ただしより詳細に見ていくと、辺野古移設の意味付けとして、「新基地」なのか「代替」なのかといった基本スタンスがどこまで定まっているかなど、各社の認識が問われてもいる。
「新基地必要性の再検証を」(大分合同)「『新基地』本当に必要なのか」(熊本日日)は見出しに新基地を掲げることで、その問題性をより明確に示すきっかけを作っているといえよう。
同じことは、国益とは何かについて、地方自治か国家安全保障かも大きな別れ道であるし、民主主義の測り方として、民意(選挙結果や世論調査、さらには直接的な抗議活動など)か、決められる政治に代表される強いリーダーシップのどちらに重きを置くのかも、社論の違いから見えてくるものだ。
県紙で投入を支持したのは「やむを得ない政治決断」(北國)だけと思われ、圧倒的多数の新聞は、政府の行動を批判する立場に回った。世論調査でも、辺野古の工事続行については過半数が否定的だ。
それでも政府の意思が変わらないいま、ジャーナリズムの力を信じるとすれば、この問題が今日も、そして明日も継続していることを伝え続けるしかなかろう。
今回の土砂投入は政府のパフォーマンス的要素が強く、沖縄県民の諦め感や、他県の一般市民に終わった感を醸成するためのものと捉えられる。それだけに、こうした印象操作に流されることなく、沖縄メディアとも連携し、1度の社説だけではない紙面作りを全国のメディアに期待したい。
【本稿は2018年12月25日付『沖縄タイムス』掲載の寄稿文を転載しました】