20年前という起点
しかし、鳩山政権を起点とするこの見方では、普天間・辺野古問題がなぜこれほどこじれているのか、答えを見出すことができない。下手をすると、沖縄の人々がわがままを言っているので、問題が決着しないのだという構図にすらなりかねない。すでに日本全国の米軍専用施設の7割を背負う沖縄が、更なる基地建設に反対するからわがままだというのは、ずいぶんと倒錯した話しである。
この問題の起点は、20年余り前の1995年に起きた少女暴行事件である。このときの地元紙の指摘は、事件をめぐる沖縄と本土との歴史観のズレを突くものであった。「日米両政府は今回の事件を『一部の不心得な米兵が起こした不幸な事件』ととらえたが、沖縄県民は『戦後五十年繰り返され、米軍基地ある限り続く悲劇の一つ』と捉えた。そこに『温度差』『認識のズレ』がある」(『琉球新報』1995年9月29日)。
この事件で噴出した沖縄の憤りに対応すべく打ち出されたのが、1996年4月の日米両政府による普天間基地返還合意であった。それが20年余りを経て、沖縄県の反対を押し切る問答無用の新基地建設に転じたのだから、話しがまったく逆になっているのである。
返還合意では代替施設について、既存の米軍基地内に「ヘリポート」を新設するとされた。それが大規模に海を埋め立て、滑走路二本を備えた新基地建設に変貌した。代替施設に使用期限を設けることも沖縄側の受け入れ条件であったが、2006年の閣議決定で破棄された。このように20年前の起点からこの問題を捉えないと、なぜ普天間・辺野古がこじれているのか、問題の本質が見えなくなる。