普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(上)

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あるべき焦点は「早期」の危険性除去

 

安倍政権は、辺野古新基地建設が「世界一危険」な普天間基地の危険性除去のための「唯一の解決策」だと繰り返している。今年2月に予定されている新基地建設をめぐる県民投票では、いくつかの自治体でこれに協力しない意向が示されている。その理由の一つは、辺野古移設が進まなければ、「普天間の固定化につながる懸念が強い」からだという。

確かに米軍としては、「辺野古ができなければ、これまで通りに普天間を使えばいい」ということかもしれない。それを日本政府も容認し、もしも基地周辺で被害が出れば、辺野古新基地を拒んだ沖縄の責任だと強弁するのだろうか。日本政治が、国政を司る上で本来持つべき矜持を欠く、そこまで堕落したものになるとは思いたくない。

この問題については、「辺野古移設か、普天間の継続使用か」という問いかけが、一見したところの焦点となりかねないわけだが、それはズレていると思う。より重要なのは、「時間軸」という観点である。

そもそも仲井真弘多氏が知事として埋め立て承認をした際、普天間基地の「5年以内の運用停止」が事実上の前提条件であった。また仲井真氏は、新基地建設には最短でも10年程度見込まれるとして、辺野古での工事進捗とは切り離して運用停止を実現すべきだとしていた。安倍政権はこれを呑んで仲井真氏から埋め立て承認を取り付けたものの、新基地建設に反対する翁長雄志知事の誕生を契機に、「5年以内」を後退させて今に至る。

結果として翁長氏に大敗したが、もし仲井真氏が知事として三選を果たしていたら、安倍政権は「5年以内の運用停止」に向けて米側と折衝するなど、本当に真剣に取り組んだだろうか。実に興味深い歴史の「イフ(もしも)」である。

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