普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(上)

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普天間・辺野古をめぐる「歴史観」

 

「歴史の中の現在」という言葉がある。今日、今月という「今」は、歴史の中の一コマであり、逆に今日、今週、今月と積み重なって日々の出来事は歴史となっていく。年が明け、平成も5月には終わりを告げるが、平成の30年は沖縄をめぐる情勢が激しく揺れ動いた時代であり、なおその只中にある。その中心に普天間・辺野古問題があったことは間違いない。自民党と民主党との政権交代も絡んでこの問題は国政をも揺るがし、鳩山由紀夫政権の瓦解にまで至った。

歴史を書く際には、扱う時間の幅をどのように設定するかがとても重要である。それによって、物事の意味づけが大きく変わるからである。普天間・辺野古については、全国メディアの解説などでも、鳩山政権から始めるものを多く目にする。鳩山政権の印象が強烈なのは当然であろう。「最低でも県外」を掲げる一方で、首相自らが問題決着の期限を明示し、その中で次々と移設候補地が挙がっては拒否され、あげくに自民党政権時代の辺野古移設「現行案」に舞い戻るという迷走ぶりであった。

その印象があまりに強い反動として、現在、安倍晋三政権が進めようとしている辺野古移設は、確かに力づくで強引かもしれないが、鳩山政権の尻ぬぐいとして問題収拾に努めているのだという「歴史観」も、一定の説得力を持つと見えるかもしれない。

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