基地問題解決の方向性を考える

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「普通の国」路線での解決策

 

まず第1の方向性は、かつて重光葵外務大臣や岸信介総理大臣などがめざした方向性である。すなわち、日本国憲法を改正し、集団的自衛権の行使を認め、「人と人との協力」という形で日米が「対等の関係」になる、という方向性である。つまり、日本が守られるだけではなく、アメリカを守れるような存在にもなれば、日本に駐留する米軍を撤退させることができる、という論理である。先の石破氏の言葉を借りて言えば、そういう対等な関係に日本がなれば、「グアムまでは守るから、沖縄の米軍はグアムまで下がってくれ」と、「お願い」ではなく、「交渉」できる、というのである(森本敏・石破茂・西修『国防軍とは何か』)。

これは、岸信介などのいわゆる「自立派」が追求した方向性を推し進める形での解決策である。つまり、近代主権国家の論理に基づいた解決策であり、「普通の国」路線での解決策である。この第1の方向性は、論理的に考えれば、いまのところ沖縄の基地問題を根本的に解決する有力な案の1つだといえる。

しかし、この方向性に異を唱えるのであれば、それに代わる有効な代替案を出さなければならない。単に憲法改正を阻止して9条を守るだけであれば、結局のところ沖縄の過重な基地負担は続いていくことになる。したがって、もし憲法9条を維持して安保条約の必要性も認めるのであれば、本土側が沖縄の米軍基地を受け入れて、応分の負担を引き受ける、という方向性もみえてくる。もちろん、基地を引き受けるとは、基地から生じる様々な負の側面(米軍絡みの事件・事故、騒音・環境問題など)もすべてひっくるめて、引き受けるということである。

 

「自立」した「平和国家」はいかに可能か

 

しかし、この2つの方向性のどちらにも異を唱えるのであれば、私たちは新たな構想を考え出さなければいけない。この第3の方向性として考えられるのは、憲法9条の精神を守り、あるいはより発展させながら日本の安全を確保する具体的な方途を見いだして、なおかつ沖縄の基地を減らしていく、という方向性である。これは、憲法9条の精神を体現した「平和国家・日本」の将来像を、アメリカに依存しない形で構築できるのか、あるいはアメリカのみに依存しない形で構築できるのか、という問いを解いていくなかで、おそらくは見出されるものである。

いわば岸や重光などのめざした日本国家としての「自立」の方向性と、9条と安保条約によって「平和国家」としてのブランドを築き上げてきた戦後日本の歩み(「護憲派」と「安保派」の実質的連携による歩み)との、高次元における統合である。もちろん、その「自立」の意味合いも単なる近代的なそれではなしに、新たな「自立」のあり方を再構築してはじめて、また「平和国家」のありようも新たなものにしてはじめて、こうした高次の統合はおそらく可能となろう。 

いずれにしても、第1と第2の方向性は、知的にはすでに答えの出ているものであり、あとは具体的な実践の問題を残すのみである。しかし第3の方向性は、まだ答えのでていないものであり、これは既存の思考枠組みを取り払って考えなければ解けない問題である。しかしここにこそ、知的な意味でも実践的な意味でも、1つの大きな挑戦があるのではないか。

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