核での本土防衛を期待された在沖海兵隊

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『沖縄と核』の真相に迫る外交史料の公開

 

一昨年、NHKスペシャル『スクープドキュメント 沖縄と核』(2017910日初回放送)が話題になった。イギリス出身のジャーナリスト、ジョン・ミッチェル氏が最初に解明した、1959年の那覇基地核ミサイル誤射事件。それから、拙著『米国と日米安保条約改定』(吉田書店、2017年)で初めて全貌を解明した、1950年代の米海兵隊の沖縄移転などを取り上げたものだ。この番組では、海兵隊が核を使用した訓練のために、日本本土から沖縄へ移ったと推測されている。

太平洋戦争末期、硫黄島と沖縄に上陸し、住民を巻き込む凄惨な地上戦を制した海兵隊は、日本降伏に伴い、本土各地で日本軍の武装解除を行った後、アメリカ本国に引き揚げる。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、ダグラス・マッカーサー国連軍総司令官のもと、海兵隊は仁川上陸作戦を成功させ、北朝鮮軍に占領された韓国の首都ソウルを奪還するが、このとき活躍したのは第一海兵師団。1953年の朝鮮戦争休戦協定と前後して、日本本土にやってくるのは第三海兵師団だ。この部隊が、195558年にかけて沖縄へ移っていく。

沖縄本島の米軍基地。海兵隊が約7割を占める

 

私は、195455年の第一次台湾海峡危機をきっかけに、本土から沖縄への海兵隊移転が始まり、1957年のジラード事件で、第三海兵師団全部隊の移転が加速、完了したという説をとっている。ジラード事件とは、群馬県の米軍演習場で、薬莢拾いをしていた日本人女性を、一人の若い米兵がおびきよせて射殺した事件だ。

ジラード事件は、日本本土の反基地世論を一気に高めた。危機感を抱いた岸信介内閣は、特に犯罪率が高いと思われていた米陸軍・海兵隊の本土撤退をアメリカに要求。米側も、反基地世論が反米世論に変わる前に手を打つべきだと考え、日本側の要求を受け入れた。

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