さて、2018年12月19日に公開された外務省の文書は、沖縄に移転した海兵隊が、どのような有事の核使用を想定していたのか、その一端を初めて明らかにしている。
※同日公開の外交記録群は、外務省外交史料館HPで閲覧可能。
⇒https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2018/gaiyo.pdf
在沖海兵隊に核で本土を守らせる
新史料によれば、1957年6月の日米首脳会談で、陸軍戦闘部隊と海兵隊の本土撤退が合意される前に、日本の外務省は、撤退する海兵隊が沖縄に行くことを米側から聞いていた。外務省はまた、海兵隊が核を装備した機動部隊「ペントミック・フォース」として、再編中であることも知っていた。
当時、日本本土の反核感情が強く、日本政府は表向き、在日米軍の核貯蔵を認めない方針をとっていた。意外なことに、日本人の反核感情を支えていたのは、沖縄戦の次に米軍が実施した広島・長崎への原爆投下ではなかった。1954年に日本の漁船、第五福竜丸がビキニ環礁付近を走行中に、米軍の水爆実験で被曝。その後、この水爆実験で放射能に汚染されたマグロが、全国で大量に水揚げされる。怒った杉並区の主婦が始めた、反核運動が全国に広がり、自民党支持層も含めた超党派の支持を得たことで、反核世論が定着したとされる。
新史料には、核抑止力のない日本本土が侵略された場合、沖縄から核攻撃可能な海兵隊が駆けつけて外敵の上陸を食い止めることを期待する、外務省の考えが記されている。