コラム 穀雨南風⑦ ~ 沖縄の若者が抱いた疑念

この記事の執筆者

「彼らは容赦なく手を突っ込んでくる」

 

沖縄の歴史は、巨大な権力とのせめぎあいの歴史でもある。翁長雄志知事が「保守は『生活の戦い』をし、革新は『人権の戦い』をしていたんですよ」と私に語ったように、アメリカ軍の支配下、そして返還後も、保守は時の支配者と協調することで生き抜こうとし、革新は対峙することで生き抜こうとしてきたと言ってもいい。

翁長氏は保守を自認し、かつては自民党本部に忠実なまでに協調してきた。「だからこそ自民党の怖さは一番よくわかっている」と繰り返し、「彼らは容赦なく手を突っ込んでくる」とも私に語っていた。

たとえば翁長知事が埋め立て承認を撤回することを、官邸は阻止しようとしてきた。もし撤回した場合には、翁長氏個人に損害賠償を行う可能性を、菅官房長官は示唆していた。

これに対して、翁長氏は語気を強めた。亡くなる1年ほど前に行ったインタビューでのことだ。

「いろいろ私たちがやっていることに対しても、そのように強く当たりながらやっていく。やはり、日本という国が変わったなとすごく感じます」

「それにしても個人賠償というのは相当な脅しですね?」と私が尋ねると、翁長氏は続けた。

「これを表で言うような部分っていうのが、やっぱり日本の政治の堕落じゃないかと思いますけどね」

そして撤回が現実味を帯びてくると、沖縄県にも賠償を求めることを検討していると報じられる。工事が中断された場合の1日の損失額は2千万円と伝えられ、中断の期間を合算すると、とてつもない額になることは容易に想像できた。自分は政治家だから賠償は受けて立つけれども、県の職員にそんな思いをさせるわけにはいかない。翁長知事はそう考えて、最後まで自分の手で撤回しようとしたのではないかと、妻の樹子さんがメディアの取材に語っている。実際、もし巨額の賠償をされたらどうなってしまうのかと、県の職員の間に動揺が走ったという話は当時、私の耳にも入ってきた。

あげればきりがない。

去年の名護市長選挙、沖縄県知事選挙では、現地で取材しながら、官邸と自民党本部の組織戦のすさまじさを間のあたりにした。県知事選挙期間中に訪ねた地元の建設会社社長は、テーブルの上に名刺をずらりと並べて見せた。

自民党や公明党の議員、あるいは議員秘書が次々と面会したいとやってくるのだという。東京から大挙してやってきた議員だけではない。名刺の中には北海道の議員秘書の名刺もあった。そばには地元の業界団体から送ってきたファックスも置かれている。期日前投票に行った社員全員の名前を書いて送るように求めるものだった。

「いつも締め付けはありますが、これほど多方面から働きかけがあるのは初めてです」

社長はあきれるように言った。議員たちは決まって、予算獲得をアピールするという。

翁長氏の言う「容赦なく手を突っ込んでくる」のに最も有効なのはお金だろう。

沖縄振興費の増減は政府が握っているし、普天間基地の移設先となる辺野古などの3つの地区に、ピンポイントで補助金を出す方法も問題視された。さらに政府は来年度予算で、県を通さずに市町村に直接渡すことができる新たな交付金30億円を設けている。県民投票で5つの市町村が不参加を表明した背景には、このお金への色気から政権に忠誠心を見せようとしたのでは、という論調が出てくるのはこのためだ。この新たな交付金がどこに流れるのかはチェックする必要がある。

 

今回の県民投票は、「どのような形で行われるか、わらない」という菅官房長官の言葉通り、当初の形のまま実施されることはなかった。結局、当初の「賛成」「反対」から、「どちらでもない」を加えるという妥協が図られたことで、とりあえず一部の市町村が参加しないという事態は回避された。

しかし、もし元山さんがハンガーストライキをしなかったら、どうだろう。これまでの報道を見る限り、5つの市町村抜きで行われていた可能性が高い。そうなっていた場合、どんな結果が出ようとも、「全県民が参加しないものは、県民投票とは言えない」という声が跋扈していただろう。政権に近いとされる首長のいる自治体が「不参加という拒否権」を行使することで、県民投票は事実上、無効化させられていたかもしれないのだ。

2月24日の投票が終わったあと、管官房長官の言葉に疑念を抱いた若者がどんな思いでその後のプロセスを見つめていたのか、ふたたび話を聞いてみたいと思う。

 

*本稿はWEBRONZAに投稿した「県民投票の全県実施でもなお残る深い疑念」を加筆・修正したものです。

【本稿はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】

この記事の執筆者